パーで、ウイスキーでといえば、オールド・パーですよね。「オールド・パー」 Old Parr 。
日本にはじめ伝えられたスコッチ・ウイスキーは、このオールド・パーであった、と考えられています。その昔、岩倉具視が欧米視察に帰り、持ち帰ったウイスキーが「オールド・パー」であった、との説があります。岩倉具視と関係があるのか、どうか。かの吉田 茂が好んだウイスキーもまた、オールド・パーであったとか。
オールド・パーはほんとうにいた人物で、本名はトーマス・パー。1483年に英国のサロップに生まれています。そして世を去ったのが、1635年。実に153歳だったというのです。
トーマス・パーは、サロップの農家に生まれています。その後、1500年には、近くのロートン城に働きに出て。父の死去があって、1508年には、実家の農家に戻っています。
トーマス・パーは1563年に、ジェイン・テイラーと結婚。この時、八十歳。一男一女をもうけています。
1558年。105歳のパーは、美しいキャサリン・ミルトンと仲良しになって。「不謹慎だ」というので、教会で懺悔させられたという。
1635年に、アランデル伯爵がサロップを訪れた時、お目にとまって。「これは目出度い人物」というので、丁重のロンドンに招待されることに。時の国王、チャールズ一世にも、拝謁。
ただし、あまりに贅沢な食事が続いたので、体調を崩して。1635年11月14日に、長い人生を終えています。オールド・パーもあれば、「ジョニー・ウォーカー」もあって。
「居合す人のはなしにジヨ二オカウイスキイ一壜百円。キユラツソオ四五十円。ベルモツト三四十円位なりと云。」
永井荷風の『断腸亭日乗』十月三日のところに、そのように出ています。もちろん、原文のまま。昭和十七年のこと。昭和十七年に、ジョニー・ウォーカーのウイスキーはあったのでしょうね。また、『断腸亭日乗』の昭和十八年、八月十四日の日記に。
「西洋小間物屋は襯衣のみならずカラ、ヅボンづり其他凡て品切れなり。」
この日、荷風はシャツを買おうとして、買えなかった。それにしても、当時はシャツとカラーは、まだ別々だったんですね。
一度、ディタッチト・カラーのシャツを、着てみたいものですね。