樽平という名前がありますよね。樽平といっても人の名前ではありません。酒の名前であります。
樽平は、山形の酒。なんでも元禄年間の創業というから、古い。米沢盆地の真ん中あたりに蔵があって。仕込みには、飯豊山から降りてくる軟水を使うんだそうです。
「樽平」はまた居酒屋の名前でもあります。居酒屋の樽平に参りますと、樽平はもとより住吉なんかも置いています。たしかに居酒屋ではありますが、山形の郷土料理をはじめ、食べるほうもなかなか、どうして。
樽平酒造経営の居酒屋なので、「樽平」。誰でもそんな風に考えるでしょうね。でも、違い。順序から申しますと。まず居酒屋の「樽平」があって、それに因んで銘酒「樽平」が生まれたんだそうね。
昭和三年に、一大決心をして。東京、神楽坂に凝った造りの銘酒屋を出した。その店の名が、「樽平」。この銘酒屋「樽平」がたいそう繁盛いたしまして。後に酒の銘に、「樽平」としたんだとか。
むかしこの樽平を贔屓にしたおひとりに、井伏鱒二がいます。
「このみち草からはじまって二幸ビル裏手の横丁にある秋田や樽平が井伏さんの立寄るお決まりのコースであった。」
川島 勝著『井伏鱒二 サヨナラダケガ人生』には、そのように出ています。もちろん昭和二十一年頃の、新宿の描写なのですが。
井伏鱒二は酒を愛したお方で。明治三十一年のお生まれで。九十五歳の長寿を得ています。少なくとも井伏鱒二にとっての酒は、百薬の長であったものと思われます。
井伏鱒二の担当編集者は、だいたい顔ぶれが決まっていて。井伏鱒二の原稿を頂いた次の日は、暗黙のうちに社を休んでよろしい、ということになっていたんだそうです。
昭和三年頃。ということは井伏鱒二、三十歳くらい。この時代の井伏鱒二の写真が遺っています。それはご自宅近くの、荻窪駅の階段を昇っている写真。もちろん着物姿で、長羽織を重ねています。
その時の井伏鱒二、高帽をかぶっています。高帽とは、シルク・ハット。シルク・ハットなんですが、シルク・ハットにしてはヤマが低い。「イブセ・オリジナル」でしょうか。クラウンの高さ、ふつうのクラウンの半分くらい。
そんな「高帽」なら今の時代にもかぶってみたい。樽平に行くにもぴったりでしょうね。