章太郎と白背広

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章太郎は、わりあいとある名前ですよね。でも、新派で、女方でといえば、花柳章太郎でしょう。
花柳章太郎は、名優の中の名優だった人物。また衣裳道楽としては、三本の指に入るお方ではないでしょう。衣裳道楽はもとより、絵筆もたてば、文の腕もたったのですから、参ってしまいます。
昭和十八年に。川口松太郎が、『菊若菜』という芝居を書いて。これは親娘の悲劇。母を演じるのが、喜多村緑郎。娘を演じるのが、花柳章太郎。花柳章太郎の師匠が、喜多村緑郎。
芝居のおわりのほうで、母と子が、別れる場面。娘の花柳章太郎が

「これからは道で会っても知らない顔をするのですか…………」。

と、科白をいう場面。初日、偶然、喜多村緑郎がハンカチを落とす。それを見て花柳章太郎は、自分のハンカチを手渡す。
これは佳い、というので、次の日から、この形で。花柳章太郎のハンカチは、ジョーゼットで、ミツコの香水を忍ばせてあったという。
ある時、大阪、心斎橋の呉服屋で。花柳章太郎が主人と着物談義。そこに立派な身なりの洋服紳士あらわれて。
「失礼ですが、花柳さんとお見受けいたしますが…………」。「いかにも私、花柳でございます」。つきましては、お願いの段が。
「私、これまで洋服の道楽をいたしました。が、和服はさっぱり…………」。というので、花柳は。着物はもとより、帯にいたるまで、見立ててあげた。
それからしばらくして、またその洋服紳士に会って。
「その節は、たいへんおせわになりました。なにか、お礼をさせて頂けませんか?」。それではというので、その洋服紳士の着ていた赤いシャツを、所望。病のとこに伏している喜多村緑郎のために。
喜多村緑郎はその赤いシャツを着ると、立って、散歩に。散歩から、舞台にも立てるようになったそうですね。
それよりもっと前の話。大正時代に、川口松太郎は映画雑誌を出していて。その中で、ルドルフ・ヴァレンティーノを持ちあげたことがあった。それをヴァレンティーノがみて、お礼がしたい。で、川口松太郎は、花柳章太郎の分も含めて洋服地を頼んだ。
ルドルフ・ヴァレンティーノから、白い布地が届いて。さっそく、洋服を仕立ててもらって、意気揚々と。その後、ヴァレンティーノから手紙が届いて。「極上の毛布をお送りいたしました…………」。
白いはず、厚いはず。洋服屋は、何本も針を折って、縫ったそうですね。まあ、そんな間違えるほど、昔の生地は厚かったのでしょうね。

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