蒲焼とギャバジン

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蒲焼といえば、鰻ですよね。鰻といえば、蒲焼。
「蒲焼を食わせよう」と言われてついて行って。どぜうが出てくる話は聞いたことがありません。第一に、鰻は蒲焼で食べるのが、美味しいではありませんか。
外国でも鰻は食べます。でも、丸ごと、ぶつ切りなんてのがあって。「蒲焼は日本の文化である」と、思う一瞬であります。
さて、その蒲焼が難しくて。それというのも、鰻通であればあるほど、贔屓がありましてね。ある人曰く。「なんと言っても、野田岩!」。そうかと思えば、「秋本、秋本、秋本」と連呼する人あり。「オレが死ぬ時には尾花の鰻だよ」と、遺言めいたことを口ばしるお方あり。あるいは、「鰻は、竹葉亭で決まり」と、断言なさる方。「神田川を忘れちゃあ、いませんか」と、ほとんどすごみはじめる人。めったに鰻の贔屓は口にできるものではありません。
これが小説となれば、別の話で。高橋 治著『片意地へんくつ一本気』。副題が、「下田うなぎ屋風流噺」と、ついております。
伊豆の下田に。空前絶後の鰻屋があって。その主人、川井剛造の物語。頑固一徹を絵に描いたような男。
ある時、東京から三人連れの客が。「鰻重を食べるが、その前に白焼きと肝焼き、それに冷酒…………」と、注文。そして、「親父、急いでくれ!」。
このひと言で、川井剛造、少しご機嫌ななめ。「鰻を食いに来て、急げとは野暮な………」。でも、これは腹の内におさめて。
白焼きが、出る。客が、食う。客が言う。「親父、柔らかい!」
「俺たちは鰻を食いに来たんで、豆腐を食いに来たんじゃねえや」。
これを聞いた川井剛造が、タンカを切る。
「じゃあなんだ。さしずめ鰻屋なんてとこには出入りしたことがねえんだ。あんたがたの食う鰻は、スーパーで買って来た真空パックに入ったやつだろう。」
そう言って。「勘定はいらないから、どうぞお帰りはあちら………」。
もう一回いっておきますが、高橋 治の小説ですからね。もっとも小説とはいえ、川井剛造のモデルになった店は今も下田にあるようですが。
高橋 治は、作家になる前は、映画の世界にいた人です。1953年に、東大を出て松竹に。ここでついた監督が、小津安二郎。あまりにも有名な『東京物語』では、助監督を勤めています。
小津安二郎がまた、凝りに凝る人で。しかもどんな時でも、一流品しか身に着けなかった。昭和二十七年の小津安二郎の『日記』を読んでいると。「春オーバー」の話が出てきます。

「マシロ屋くる 春のオーバー 笠からもらつたギャバジンをレインコートに頼む 」

三月二十九日。土曜日とところに、そのように書いています。「笠」は、おそらく笠 智衆のことなんでしょう。笠 智衆がいつだかギャバジンを贈った。で、小津安二郎は「春のオーバー」を仕立てたものと思われます。
春外套を着て。下田のさる鰻屋に行きたいものですねえ。

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