萬年は、縁起の良い言葉ですよね。俗に、「鶴は千年亀は萬年」というではありませんか。これは長寿を希っての言い方なんでしょう。
時によってはわが子の長寿を願って、『萬年」の名前をつけることもあります。たとえば、上田萬年だとか。上田萬年は、日本国語学の泰斗であります。「泰斗」は、「たいと」訓むんだそうです。泰山北斗を略して、「泰斗」。その道の権威者の意味だとか。上田萬年が編纂した『大日本国語辞典』には出ているでしょう。
上田萬年は、『広辞苑』の新村 出の先生、『明解国語辞典』の金田一春彦の先生。とても偉い先生なのです。
あっ、しまった。ここで「とても」をつかってはいけませんでした。上田萬年の説によれば、「とても」は、物事を否定する時に使うもの。肯定には本来、使わないんだそうです。
大正十二年の十二月。上田萬年が関係していたある学校で。地震で壊れた校舎をどうするかの論議が行われていて。その時、突然、上田萬年が学校に来て。
「これをつかってもらいたい。」
もらったばかりの、封を切っていないボーナス袋を置いて、立ち去ったという。この話は、円地文子の『おやじ・上田萬年』という随筆に書かれています。円地文子が、上田萬年のお嬢さんであるのは、言うまでもないでしょう。
円地文子の小説に、『女面』があります。これは、能の面を題にした物語。この中に。
「毛の長いモヘヤのツングース族じみた徳利衿のスウェーターから……………」。
ここでの「モヘヤ」は、モヘア mohair のことかと思われます。モヘアは、アンゴラ山羊の毛を原料とした繊維のことです。
アンゴラ山羊の毛をどう使うかによって、様ざまな表情が生まれます。アンゴラ山羊の毛を、ごく細くひいて、緻密に織ったなら、夏背広の生地にもなります。光沢と張りとがあって、美しいものです。
なかでも珍重されるのが、キッド・モヘア。これは生後一年までの、若いアンゴラ山羊の毛だけを使うものです。
キッド・モヘアのスーツをぜひ着てみたいものです。否定の前に「とても」を使わないようにいたしますから……………。