紳士のための「秘密諜報部員」的衣裳
パジャマは睡眠用の服装である。男は眠るためにパジャマを着、目覚めるためにスーツを着る。
パジャマは、 pajamaとも、 pyjama とも書く。フランスでも pyjama と書いて、「ピジャマ」と読む。ピジャマはペルシア語やウルドゥー語の、「パエ・ジャマー」 pae jamah から来ている。パエは、「脚」、ジャマーは、「服」。つまり、「脚衣」の意味であったという。つまり、本来は下だけのもので、後に英国に伝えられてから、上下一対の服装になったのだろう。
パジャマがイギリスに齎されるのは、十七世紀のこと。風変わりな部屋着として。ただしこの時は一過性の流行で終わった。このパジャマが復活するのは、1870年代のことである。この時には、スリーピング・ウエアとして。
「私は英国のシュミーズ・ド・ニュイをあきらめて、パジャマで寝ることにした。」
1878年刊の『六ヶ月間世界一周』の一文。著者は、E・S・ブリッジェス。「シュミーズ・ド・ニュイ」は、ナイト・シャツのこと。ごく一般の英国人は、パジャマ前はナイト・シャツで眠りについていたのである。
1880年代にはシュミーズ・ド・ニュイの国、フランスでも「ピジャマ」は知られていたようである。
「とりわけ「パジャマス」あるいは「睡眠用コスチューム」なるものがある。(中略) これは絹シャツで、軽騎兵の軍服のように肋骨の飾り紐がつき、四十五フランもするのである。」
1882年『ゴンクール日記』8月20日(土) には、そんなふうに出ている。ゴンクール自身が「ピジャマ」を着たかどうかは知らない。が、少なくともゴンクールが「ピジャマ」に興味しんしんだったことは間違いないだろう。「肋骨の飾り紐」とは、フロッグ frog のことである。絹紐で作った装飾的な留具のこと。
1885年には英国の「イェーガー」が、「コンプリート・スリーピング・スーツ」を発表。これはウール・ジャージー製の、パジャマ上下であった。パジャマ形式もさることながら、イェーガーではウール素材を肌に着けるが眼目であったろうと思われる。
「今月の型紙はコンビネイション・ナイトガウンと、女性用パジャマです。」
1886年『ガールズ・オウン・ペイパーズ』紙10月25日号の記事。ここから察するに、1886年にはすでに女性もパジャマを着ることがあったのだろう。そしてイェーガーで高級品を買うばかりでなく、自宅でパジャマを仕上げることもあったことが窺える。
「私は念入りにパジャマ・ジャケットに袖を通した。」
1891年7月1日。英国の詩人、アーネスト・ドーソンは手紙の中に、そのように書いている。その頃には、「パジャマ・ジャケット」の言い方があったものと思われる。
1895年の「ハロッズ」のカタログには、「パジャマ・スリーピング・スーツ」が紹介されている。今日のパジャマとほとんど変わるところがない。立ち襟のデザインで、シングル前、ボタンは四個。胸ポケットと、脇ポケットを含めて三つ。あえて違いを探すなら、胸ポケットにハンカチがあしらわれているところだろうか。
「パジャマ・スリーピング・スーツは、目下、ナイト・シャツにとって代わりはじめている。」
1897年の『ザ・テイラー・アンド・カッター』は、そう述べている。1870年代からゆっくりと時間をかけてナイト・シャツがパジャマへと変化していったことが分かるだろう。
パジャマがイギリスに伝えられてからざっと百年後。1978年「ニーマン・マーカス」のカタログには、「極上ヴェルヴェットの、パーティ・パジャマ」が掲載されている。「パジャマ・パーティ」用ということなのだろうか。
パジャマはあくまでも秘密にしておきたい。しかしいざという時には、信じられない威力を発揮してももらいたい。まあ、言ってみれば、「秘密諜報部員」であろうか。