鞍馬天狗とクラブ・タイ

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鞍馬天狗を演じた役者に、嵐 寛寿郎がいますよね。嵐 寛寿郎はもう藝人になるべくして生まれたお方。まわりにも、藝人の多い家系。たとえば、森 光子。森 光子は嵐 寛寿郎の従姉妹という関係であります。
『鞍馬天狗』がはじめて映画化されたのは、1942年のこと。昭和十七年ということになります。『鞍馬天狗』での嵐 寛寿郎の立ち回りは、水際立っていて。どんなに激しく動いても、着物の裾が乱れることがなかった。
これを不思議に思ったのが、伊藤監督。わざと百メートルも走るような立ち回りをさせた。それでも嵐 寛寿郎の着物の裾は乱れなかった。
嵐 寛寿郎は若い頃、女形の役者でもあって。そこで厳しく躾られた。「いかなることがあっても、着物の裾だけは乱すな」と。
戦前の役者がもてるのは、あたりまえのことで。そのあたりまえの中でも、嵐 寛寿郎はことにもてた。まず、ギネスブック物でしょうね。また、別れ方が美事。それまで一緒に住んでいた家屋敷、財産すっかりお渡しして、「はい、さいなら」というのが、常だったという。
『鞍馬天狗』の原作者が、大佛次郎であるのは申すまでもありません。大佛次郎が戦後に書いたのが、『帰郷』。1948年の「毎日新聞」に連載された物語。この『帰郷』の中に。

「帽子と外套を脱ぐと、大学の学生だが派手な紅色の縞のあるネクタイで、背広をきちんと着こなしていて……………………」。

これはたぶん「クラブ・タイ」なのでしょう。レジメンタル柄のネクタイをなぜかイギリスでは、「クラブ・タイ」と呼ぶことになっています。
なにか好みのクラブ・タイを結んで、鞍馬天狗の初版本を探しに行くといたしましょうか。

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