蒟醤とギンガム

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蒟醤は、美しいものですよね。蒟醤の小匣があったりします。蒟醤と書いて、「きんま」と訓みます。
もちろん漆藝のひとつ。木地の表に微細な文様を彫り、その上からさらに漆をかけて、仕上げるものです。千 利休の時代からすでに伝えられ、珍重されていたらしい。
蒟醤はおそらくタイなどで生まれたものでしょうが、日本はまた日本で特有の発展をしたものかと思われます。
蒟醤に関心のあったお方に、林芙美子が。林芙美子著『浮雲』にも、蒟醤が出てきます。

「檳榔と蒟醤についてついては、安南に美しい傳説がのこつている。」

林芙美子は、昭和六年十一月に、巴里へ。ちょうどこの頃、林芙美子の有名な『放浪記』が売れに売れて。その印税で巴里に住んでみたいと思ったようです。
昭和六年のことですから、シベリア鉄道で。巴里に着いたのは、十二月末のこと。たぶん寒かったことでしょう。その寒い巴里街を、着物姿に下駄履きの林芙美子は、目立ったそうです。たちまちご近所の人気者に。

「何が美味いといって巴里のコヒーほど美味しいものはない。私は朝々三日月パン一ツで、このキャフェをすすりながら食事を済ませた。」

林芙美子は、『巴里』という随筆の中に、そのように書いています。林芙美子の文字遣いは、「コヒー」になっているのですが。「三日月パン」はもちろん、クロワッサンのことでしょう。
ここで、もう一度、『浮雲』を開いてみたいのですが。

「オントレの茶園をおとずれた時のゆき子の赤縞のギンガムのスカートが、昨日のことのように瞼にちらつく。」

ここでの「ギンガム」は、ギンガム・チェックのことでしょう。ギンガム・チェックは、巴里でもよく見かけます。よくビストロなどのテーブルクロスに使われるので。
そして時と場合によっては、半袖シャツにも仕立てられることがあります。ギンガムのシャツを着て、蒟醤の研究書を探しに行くとしましょうか。

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