バルザックが大の珈琲好きだったのは、あまりにも有名な話ですよね。
たしかにバルザックは珈琲がお好きだったのでしょう。が、それ以上に、珈琲信仰があった。珈琲に含まれている魔力によって、小説の構想が生まれるのだ、と。
バルザックが生きた十九世紀中葉は、珈琲転換期でもありました。今のようなドリップ式はまだ生まれていなかったのですから。「煮沸式」とでもいえば良いのでしょうか。どちらにしてもドリップ式よりも、やや原始的な淹れ方だったのです。
そこに新しく登場したのが、「シャプタル式」であり、「デュベロワ式」だった。これらはいずれもフィルターを使って、珈琲を濾す淹れ方だったのです。
このうちバルザックが好んだのが、「シャプタル式」。容器が上下二つに分かれていて、その間にフィルターが。これによって、上澄みだけを飲むやり方から、解放されたのでありました。バルザックはこの「新式珈琲」を、一日に、何十杯も飲み、それで休むことなく原稿を書いた。バルザックの小説を読むと、奥から珈琲の薫りが立ちのぼるのは、たぶんそのせいなのでしょう。
バルザックはなにも珈琲ばかり飲んでいたわけではありません。ワインもまた。
テオフィル・ゴオティエは、ある時、偶然、バルザックと同じレストランで、食事することに。ゴオティエが見るともなく見ていると、バルザックは四本のワインを開けて、けろっとしていたという。それはヴヴレエの白ワインで。ゴオティエは、こう思った。
「バルザックは、食事に金をかける男だなあ」
バルザックのことを書いた小説に、『あら皮』があります。中井英夫が、1942年に発表した物語。いうまでもなく、『あら皮』はバルザックの代表作。
「玄関の広間ではバルザックがその小肥りの体をゆすって笑いこけていた。」
とにかくバルザックを小説にしているのですから、バルザックが登場するもあたり前でしょうが。
中井英夫がほぼ同じ時期に書いたのが、『青髯公の城』があります。この中に。
「約束の日は、しかし、また暑さが戻っていて、滋人は膝までのバミューダにバスケットシューズを穿き………………」。
ああ、バミューダ・ショーツのバスケット・シューズという手もありますよね。
バミューダ・ショーツで、バルザック全集を探しに行くとしましょうかね。