羽織は、着物によく合わせるものですね。「羽織 袴」なんてことをいうじゃありませんか。
羽織をもらう話。井伏鱒二が行きつけの「双文」で飲んでいると、隣の見知らぬ紳士から羽織をもらう。その紳士は元伯爵で、酔うと人に物をやる癖が。そのもらった羽織は、凝りに凝った羽織だった。井伏鱒二著『羽織』に出ています。
井伏鱒二はそのもらった羽織をどうやって返そうか、と。ひとつに、名案。「双文」にまた行って。酔ったふりして、件の紳士に「羽織をもらってくれ」というのはどうか、と。
羽織の話は、松方三郎も書いています。「羽織とは、いったい何か」と。そのむかし、豊臣秀吉は孔雀の羽根を織り込んだ陣羽織を着たという。つまり、鳥の羽根で仕立てたので、「羽織」。そんな説もあるんだそうです。
孔雀の羽根はさておき、羽織は純然たるおしゃれ心から生まれているのは、間違いないらしい。羽織が正式とするのは、必ずしも正しくはない、とも。
谷崎潤一郎が、明治四十三年に発表した名作に、『刺青』が。この中にも、羽織が出てきます。
「清吉が馴染の辰巳の藝妓から寄こされた使いの者であつた。
「姉さんさんから此の羽織を親方へお渡しして、何か裏地への繪模様を………………………」。
文中の「藝妓」には、「はおり」のルビが振ってあります。「はおり」の使いが「羽織」を持ってくるので、ややこしい。
これは、「羽織藝者」の略。羽織を着るような藝者を、羽織藝者と呼んだものです。
やはり羽織が出てくる小説に、『生』があって。田山花袋が、大正十一年に発表した物語。
「羽織袴の兄弟に護られて、嫁は入口から玄關に上つた。」
また、『生』にはこんな描写も。
「紺羅紗の薄い夏の脊廣の三四年も着古したのを着て、パナマ帽の黄色くなつたのを冠つて、紫の唐縮緬の風呂敷包を小脇に抱へて居る。」
これは、とある主人が神楽坂を歩いている場面。
あるいは、今いうサマーウールのスーツなのでしょうか。もっとも本物のパナマ帽は、多少のことでは色変わりしませんから、ご安心を。
パナマ帽をかぶって、むかしの「羽織研究」の本でも探しに行きましょうか。