クラッシックは、古典のことですね。モダンに対するクラッシック。古典なら、たいていのものに、「古典」があるのでしょう。
日本文学の古典なら、『枕草紙』だとか。写真機なら、戦前のライカを大切に持っているだとか。いろんなところに、古典愛好家がいるに違いありません。
クラッシック音楽の愛好家だったお方に、野村胡堂が。野村胡堂はいうまでもなく、『銭形平次』の著者。書くものもクラッシックなら、聴くものもクラッシックだったことになります
クラッシック音楽愛好家といってしまえば、それまでなんですが。野村胡堂の場合は、玄人はだし。「あらえびす」の筆名で、音楽評論までこなしていたのですから。
一時は、四十万枚のレコードを蒐めていたという。明治末期に、野村胡堂は「報知新聞」に勤めていて。毎月の給料をそっくりレコード点に運んでいたそうです。
ある時。野村胡堂の友人のチェリスト、佐藤良雄が、パブロ・カザルスをピレネー山中に訪ねたことがあって。たまたま野村胡堂の話になると、カザルスは言った。
「ああ、あのむやみとレコードを蒐めている人だね」。
カザルスは自分の写真にサインして、「これを野村胡堂に渡してくれ」と言ったそうです。
これは野村胡堂著『胡堂百話』に出ていますから、ほんとうでしょう。
クラッシックが出てくる小説に、『ローマのトゥインベッド』があります。ジョン・アップダイクの短篇です。
「わかったわ。わたしはクラッシックでしょう。そして、あなたはバロック風なのよね。」
これは、メイプル夫妻の、奥さんが亭主に対していう科白。また、『ローマのトゥインベッド』には、こんな場面も出てきます。
「二人はそこに入っていき、蛇のように冷たく優雅な若い男からリチャードは鰐皮の黒い靴を買い求めた。」
もちろん、ローマの靴店で、クロコダイルの靴を買う様子。
よし、今度こそローマでクロコを買うぞ。なんて考えながら、カザルスでも聴くとしましょうか。