フィリップとフランネル

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フィリップで、フランスパンでといえば、ビゴでしょうね。「フランスパンの神様」と呼ばれたお方ですよね。
フィリップ・ビゴは、1942年、ノルマンディーの生まれ。ビゴのお父さんも、お爺さんもパン職人だったそうですから。後に「フランスパンの神様」になるのも、当然だったのかも知れませんが。
フィリップ・ビゴは、十四歳で、パンの修業に。十五歳で、実家のパン屋を出たという。
フィリップ・ビゴにはたくさんの弟子がいました。弟子が捏ねたパン生地を、何度で捏ねたかを言い当てたという。同じように、そのパンを何度で焼きあげたかも、言い当てたそうです。
フィリップはフィリップでも、フィリップ・ケアリ。フィリップ・ケアリは、どこかで読んだ記憶がおありでしょう。そうです、『人間の絆』の主人公の名前。
『人間の絆』は、1919年に、サマセット・モオムが発表した傑作。もちろん小説ではありますが、読み方によってはモオム自身の半自伝にもなっています。つまり、フィリップ・ケアリは、モオムその人である、そう言っても間違いではないでしょう。
若い頃のフィリップ・ケアリは、ドイツに留学。これもまた、サマセット・モオム自身の経験と重なっています。ドイツ留学時代、アメリカ人の友と、紳士について語り合う場面が出てきます。アメリカ人の友は、フィリップ・ケアリがイギリス人だと知って、「紳士とはなにか?」と、問う。これに対してフィリップは。

「それから、紳士らしい英語を話すこと、身に着けるものが、ちゃんとおかしくないこと。…………………。」

そんなふうに説明をはじめるのですが。
サマセット・モオム自身は、巴里で生まれて、南仏で世を去っています。が、生粋の英國人。それもやや上流の家庭環境に育っています。
そのサマセット・モオム、晩年にはどんな服を着たのか。主に、フランネルのスーツ。グレイ・フランネルの、両前のスーツを愛用したものです。
少なくとも、グレイ・フランネルのスーツが、紳士に近いものであるのは、間違いないでしょう。
では、フランネル・スーツで。ビゴのパンを買いに行くとしましょうか。

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