風俗は、「俗なる風」と書きますよね。だとすると、「聖なる風」もまたあるのでしょうか。
風はk az eとも訓めますし、f u u とも訓めます。「聖なるふう」もあれば、「俗なるふう」もあると思えば、少しは分かりやすくなるのでしょうか。
「聖なるふう」は仰ぎ見る存在で。それが「俗なるふう」に降りてきて、やっと身近かに感じられるということなのでしょう。
『祖父・小金井良精の記』に、明治の風俗が出てきます。星 新一が昭和四十九年に発表した記録文学。
小金井良精は、明治期の細胞学者。森 鷗外の妹君と結婚した人物。良精と書いて、「よしきよ」と訓みます。星 新一の母方のおじいさんということになります。それで、『祖父・小金井良精の記』という題名なんですね。
この大作の中に、「風俗」の項目があって。
「良精は子供になにか買ってやる時、いったん帰宅し、和服に着かえて出かけていたようである。」
明治二十年代の話。星 新一のおじいちゃんは、買物のために、洋服を和服に着替えたんだそうですね。
明治中期には。「洋服一割 ひげ二割」の言い方があったらしい。その時代の西洋服は高額で、庶民は高嶺の花。つまり西洋服を着ているのは、金満家。千円の値段が、千百円になった。で、千円のものを千円で買うには、和服のほうが都合が良かったのでしょう。
星 新一は、大正十五年九月五日の生まれ。ただし午前二時五分に。より正確には、9月6日ということになるのでしょうが。
名前は、親一。父の、星 一 が命名。星 一の好んだ格言、「親切第一」からとって、「親一」。つまり、星 新一はペン・ネイムなのですね。
小金井良精は、長く、今の東京大学の教授であった。ある時、当時の皇太子殿下が教室をご訪問されることになって。
「その日、良精はフロックコートを着用して出勤、大学関係者、学生たちとともに、九時半のご到着をお迎えした。」
大正九年七月三日、土曜日、晴天だった、と。小金井良精は、教室においては皇太子殿下をいっさい特別扱いすることがなかったという。もちろん、後の昭和天皇であります。
フロック・コオトは今、風前の灯。いや、死語ならぬ「死服」でしょうか。でも、フロック・コオトほど便利な礼服はありません。昼間なら、絶対優位に立てる第一正装なのですから。
まさに、「聖服」であります。