知恵は、いいものですよね。知恵があるからこそ、上質の暮しもできるのでしょう。
上質といえば、知恵にも上質とそうではないものがあるのかも知れませんが。上質の知恵は、憧れの的です。
上質の知恵の持主。たとえば、吉田 茂。吉田 茂は、国葬に値する政治家でありました。吉田 茂は、1967年度版『ブリタニカ百科事典』に、「日本を決定した百年」と題する論文を書いています。
吉田 茂はまた、ユウモアの持主でもありました。これまた、上質のユウモア。してみると、知恵とユウモアとは、どこかでつながっているのかも知れませんね。
1967年10月20日。吉田 茂は八十九歳の人生の幕を閉じています。
それより前の六月。昏倒。医者の武見太郎が駆けつける。武見太郎は名医で、吉田 茂とは親戚関係。目を開けた吉田 茂が武見に言った。
「君が、ご臨終です、と言うのには、間に合ったな。」
戦後間もなくのこと、吉田 茂が選挙演説を、十二月の、寒い時期。
「今後の日本の政治はどうあるべきなのか………………」
吉田 茂が熱弁を。その時、見物客の中から、ヤジが。「おい、吉田、オーバーを脱げ」。主権在民の時代で、政治家は国民の臣下だというのでしょう。オーバーを着たままの演説は失礼だと、考えてのことであったのかも知れません。「オーバーを脱げ!」。これに対する吉田 茂のひと言。
「えー、これをもって外套演説と申します。」
期せずして拍手が起ったという。
ここまではほんとうの話。ここからは私の勝手な想像。この時、吉田 茂はチェスターフィールド・コオトを着ていたのではないか。
チェスターフィールド・コオトの眼目は、フライ・フロントにあります。比翼仕立て。前ボタンを見せない仕立て。前ボタンを見せないのが、より上品な外套なのだ、と。
これもまた、上質な知恵から生まれたものなのでしょうね。