カーターとカッタウエイ

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カーターは、英米に多い姓ですよね。たとえば、ハワード・カーター。
ハワード・カーターは、英國の考古学者。あまりに有名な、古代エジプトの、トゥータンカーメンの墓を発掘したことで知られる人物です。
カーターが遺跡を発見したのは、1922年のこと。これは資金援助の、カーナヴォン卿との契約が切れる前日のことであったと伝えられています。
カーター C art er はまた、カー C arr の筆名でもあります。本名、ジョン・ディクスン・カー。1930年に発表した『夜歩く』は第一作であり、出世作でもあります。『夜歩く』は、その時代の巴里が背景。ジョン・ディクスン・カーは若い頃、ヨオロッパに遊学しているから。
ジョン・ディクスン・カーは、れっきとしたアメリカ人。でも、奥さんのクラリスがイギリス人なので、長く英國に住んでもいます。
1939年に、カー夫妻は、アメリカ、ペンシルバニア州へ。第二次大戦の影響を受けて。1939年8月23日のことです。
ところが、ペンシルバニア州に着いたばかりの時、BBC から「帰れ!」。
英國の放送局 BBC では戦意高揚のための物語を必要としていたのです。
ジョン・ディクスン・カーはひとり、ニュウヨーク港を発っています。1939年9月8日に。
倫敦に着いたカーが、BBC のために脚本を書いたのは、いうまでもないでしょう。
ところが、カーは単身赴任ということもあって。BBC 放送局のある女性と仲良しに。
1944年になって、愛妻クラリス、帰国。クラリスはジョンに言う。
「もう、およしになって!」。これに対するジョンのひと言。
「イエス!」
まあ、クラリスもジョンも大人だったということなんでしょうか。
カーターが出てくるミステリに、『チークのたばこ入れの冒険』があります。1934年頃に、エラリイ・クイーンが発表した物語。

「カーター君、この死人はだれかね」警視がきいた。

警視が、エラリイ・クイーンであるのは、いうまでもないでしょう。
余談ではありますが。ジョン・ディクスン・カーにも、『皇帝の煙草入」のミステリがありますね。1942年の発表。
また、『チークのたばこ入れの冒険』には、こんな描写も。

「モーニング・コートを着て、襟のボタン穴に花を飾った、にやけた青年が、控え目に咳払いをした。」

「モーニング・コート」はどちらかといえば、イギリス的な言い方。アメリカでは多く「カッタウエイ」と口にします。
上着の前が、大きく「カッタウエイ」されているからです。
時にはカッタウエイを着て、カーター・ディクスン名義の、初版本を探しに行きたいものですが。

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