船旅は、佳いものですよね。ゆとりがあって、優雅そのもので。
だいたい飛行機以前の異国への旅は、船が多かったものです。
「舶来」というとき、舟偏の文字が出てくるのは、「舟」で運ばれて来たもの、の意味だったのでしょうね。
1950年頃、船旅を経験されたお方に、桶谷繁雄がいます。今からざっと七十年ほど前の話ではありますが。桶谷繁雄は、優れた工学博士だった人物。暁星中学で、吉田健一と同級生だったらしい。
昭和二十五年頃、桶谷繁雄は、フランスに留学。その行き帰りは、船だったという。昭和二十七年『美しい暮しの手帖』 第十六号に、『巴里案内』と題する随筆を寄せています。
では、桶谷繁雄はどんな船を利用したのか。フランス船籍の、「ラ・マルセーエーズ号」で。たぶん横濱からマルセイユへ着くので、その名前なのでしょう。
横濱からマルセイユまで、どのくらいの時間がかかるのか。二十九日。今、飛行機なら十時間くらいのところを、約ひと月かけて、マルセイユまで。さらにマルセイユで一泊するわけですから、のんびりとした、弥次さん喜多さん気分が味わえたことでしょう。
さて、横濱からマルセイユまでの船旅のお値段は。18万フランだと、『巴里案内』には書いてあります。当時の交換レートは、1フラン、1円だったという。つまり、当時の金額で18万円あればフランスに行くことができたのでしょう。
ただし、これは一等船室のお値段。トゥーリスト船室は、約13万フラン。わずか5万の差ですが、その時代の一等船客はとても立派だったそうです。むろん、桶谷繁雄は一等船客を利用したそうですが。
ひとたび船に乗ると、そこはフランスみたいなもので、食事もワインも含まれていて。フランス・ワインが自由に。そう考えますと、「18万」というのも、決して高くはないように思われるのですが。
さて、巴里に着いたらどうするのか。まずは、買物。
「入ると、モーニングに威儀を正した紳士が立つて居る。「よくいらつしやいました。何を御希望になりますか」」
これはデパートの「プランタン」での様子。プランタンを入った入口のところに、モーニング・コオト姿の担当が立っていたそうです。
今でも高級宝石店では、似たような光景が見られますが。
モーニング・コオトの紳士のお出迎え。まあ、悪い気はしませんよね。ただし、今から七十年くらい前のことではありますが。