高畠とタータン

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高畠で、絵師でといえば、高畠華宵でしょうね。高畠華宵と書いて、「たかばたけ かしょう」と訓みます。本名は、幸吉。実家は、宇和島の生糸商、「廉屋」だったそうです。
明治二十一年四月六日の生まれ。
竹久夢二とは、四つほど年下。竹久夢二の女が頽廃美だったとすれば、高畠華宵の女は妖艶美だったといえるでしょうか。
高畠は十七のとき、「花宵」の号名を。これを明治四十三年になって、「華宵」と変えたという。その翌年、「津村順天堂」の「中将湯」の広告絵画を描いて、好評となった絵師でももあります。いや、高畠華宵こそ、「絵師」と呼ぶにふさわしい画家であったでしょうね。

♬ 国貞描くの乙女もゆけば
華宵好みの君もゆく

「銀座行進曲」にも歌われたほどの人気を博したものです。
高畠華宵はもの覚えもよくて。銀座の街を描くにも、一丁目から七丁目のすべての店を記憶してから、筆を採ったという。

「特筆したいのは彼のモノクロームのペン画で、それまで毛筆が主流であった挿絵に、流れるようにやわらかい独特のペンタッチを導入した。」

同じく画家の、やなせ たかしは『艶麗な美人画』と題する随筆の中で、そのように書いています。文中、「彼」とあるのが、高畠華宵であるのは、いうまでもないでしょう。
その高畠華宵と、ルパンが関係しているとは、思いもよらないことでした。
昭和二十七年に、大日本雄弁会講談社から、『怪盗ルパン』が出ています。この挿画を担当したのが、高畠華宵なのです。表紙も、口絵も、挿画も、すべて、高畠華宵。
ここでの『怪盗ルパン』は、少年探偵、イシドル・トルレが活躍する物語になっています。このトルレ少年に、高畠華宵は、アーガイル模様のホオズを履かせているのです。
アーガイル柄とは、ニットでしょう。が、それ以前には、タータンの布地をバイアスに仕立てて靴下にしたところから、はじまっているものと思われます。
まあ、それはともかく。「弥生美術館」に、高畠華宵の絵を観に行くにも、アーガイル・ホオズはふさわしいのかも知れませんよ。

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