ジョージとジャンパー

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ジョージは、わりあいと多い男の名前ですよね。フランスなら、「ジョルジュ」でしょうか。
でも、ジョルジュ・サンドは、フランスの女性作家。十九世紀のフランスでは、男名前の作家のほうが有利だったのでしょうか。ジョルジュ・サンドの場合、なかなか手が込んでおりまして。服装もぜんぶ男物。ジョルジュ・サンドは小柄でもありましたから、すべて註文で仕立てさせてそうですね。
ジョージは日本の男にもあって。谷 譲次。谷 譲次もまた筆名で、本名は、長谷川海太郎。明治三十三年一月十七日、佐渡に生まれています。ただし育ったのは、箱館。中学での海太郎の特技は物真似。先生の口調をそくっり真似たという。
谷 譲次名義で小説を書きはじめたのは、1925年頃。和暦では、大正十四年。谷 譲次の名前では、主に「メリケン・ジャップ物」。林 不忘の名前では、時代劇。牧 逸馬の名前では、ユウモア小説。
ことに人気となったのが、『丹下左膳』。これも林 不忘の創作だったのです。
あくまでも伝説ではありますが。海太郎の書斎には三つの机があった。谷 譲次用、林 不忘用、枚 逸馬用。それぞれの机に座ると、自然に物語が浮かんだという。
昭和十年六月二十九日。死去。三十六歳でありました。長谷川海太郎の執筆期間は、ちょうど十年ということになります。十年間での執筆量としては、ギネスブック級ではないでしょうか。とにかく、書きに書いた作家でありましょう。
長谷川海太郎のお父さんは、長谷川淑夫。海太郎が世を去った時、歌を詠んでいます。

たをたをと 波にただよへる 只中に
生まれし 男の子 名は海太郎

おそらく佐渡の荒波の印象があったのでしょう。ジョージと題につく小説に、『ジョージイ・ポーギイ』があります。1950年代に、英国の作家、ロアルド・ダールが書いた物語。ロアルド・ダールのことですから、一筋縄ではいかない短篇になっているのですが。

「ジョージ、今日は、お前がどうやってこの世に生まれてきたのか、始まりから教えてあげるから」

これはジョージのお父さんの科白なんですが。こんな言葉遊びを、ダールはお好きなんですね。ほぼ同じ頃、ダールが書いた短篇に、『ほしぶどう作戦』があります。この中に。

「クロードは黒のズボンにダーク・グリーンのとっくりのセーターを着ていた。」

『ほしぶどう作戦』には、何度か、「セーター」の話が出てきます。スェーター sw e at er は主にアメリカで用いられる言葉。同じものをイギリスでは、「ジャンパー」 jump er 。これはもともと着丈の短い上着と言った意味から出ています。
さて、イギリス式の「ジャンパー」で、谷 譲次の本を探しに行きましょうか。

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