ホレイショーとポプリン

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ホレイショーは、人の名前にありますよね。でも、芝居に登場する「ホレイショー」なら、『ハムレット』でしょう。
『ハムレット』はもちろん、シェイクスピアの悲劇。だいたい1600年頃に書かれたものではないかと、考えられているようです。『ハムレット』の中の科白に。

T o b e 、or n ot t o b e

というのがあります。たぶんシェイクスピア劇の中で、もっとも有名な科白かも知れませんね。

「生くべきか、死すべきか」

明治このかた、星の数ほどの翻訳があるんだそうです。まあ、それだけ含みが多いということなのでしょう。
ウイリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日に生まれたのだろうと、推測されています。いうまでもなく、英國、ウォリックシャー州、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいて。
では、その時代のストラットフォード・アポン・エイヴォンは、どんな町だったのか。そうです、ストットフォードは立派に「町」だったのです。肉屋が23軒もあったというのですから。また、織元が20軒あった。靴屋が16軒。パン屋が15軒。手袋屋は、22軒。
そのうちの一軒の「ジョン・シェイクスピア」もまた手袋屋だったとのこと。ただし、ジョン・シェイクスピアは手袋以外にも、ウール関係の仕事もしていたらしい。
話は、『ハムレット』に戻ります。この中にハムレットの友人として登場するのが、ホレイショー。『ハムレット』の舞台はデンマークと設定されていますから、デンマークにも「ホレイショー」の名はあったものと思われます。
ホレイショーが出てくる小説に、『トーニオ・クレーゲル』があります。1903年に、トオマス・マンが発表した物語。

「ホレイショの返答はね、リザウェータさん、『そうお考えになりまするは、ご穿鑿すぎにござりましょう』でしたっけね」

これは、トーニオ・クレーゲルの科白。また、『トーニオ・クレーゲル』には、こんな描写も。

「絹の黒いフロックコートはなんと見事にその太った腰にぴったりと合っていたことだろう。」

これは、フランス語の先生、フランソワ・クナークという人物の着こなし。
「絹」とは何でしょう。シルク・ポップンでしょうか。1900年代に、シルクのフロック・コオトがあったのなら、今の時代にシルク・ポプリンのラウンジ・スーツがあって良いのではないでしょうか。

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