カップ・フェラとカラーレス

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

カップ・フェラは、南フランスの地名ですよね。いうまでもなく、
C ap F err at と書きます。C ap をカップと訓むのか、キャップと訓むのか、難しいところでしょうね。
服のほうでは「ケエプ」 c ap eがあります。これもまんざら c ap と関係がないわけではありません。「いちばん先の服」とも解せるからです。
万年筆などの「キャップ」にも同じことがいえるでしょう。アメリカに、「ケープ・タウン」があります。「先端の場所にある町」と理解して間違いではありません。
世界中に、「カップ」または「ケープ」のつく場所はたくさんあります。が、それらに共通しているのは、「突端」ということです。
カップ・フェラも同じことで、フェラ岬であります。このフェラ岬に自宅を構えていたのが、モオム。作家のサマセット・モオム。
自宅といえば自宅ですが、使用人の数だけでも常に十人は超えていたらしい。敷地は広く、専用プールまでありましたから、屋敷と呼ぶべきかも知れませんね。
この屋敷の名前が、「ヴィラ・モオレスク」V il l a M a ur esq u e。
「ムーア様式の邸宅」の意味。もちろん、モオム自身がそのように名づけてのです。
サマセット・モオムは、1965年12月16日。この地で世を去りました。九十一歳で。
モオムはいかにも英國的な小説をたくさん書いています。が、その多くはフランスの、カップ・フェラの、ヴィラ・モオレスクで仕上げているのです。皮肉といえば、皮肉なことではありますが。
モオムは少年の頃から、読書が好きだったらしい。何を読んだのか。フランスの作家、モオパッサン。十五歳くらいで、モオパッサンをむさぼり読んだそうですね。
1959年11月6日。モオムは、日本に来ています。モオム八十五歳の時です。
フランス船「ラオス号」で、午後三時半、神戸に着いています。
その時のモオムの服装は、カラーレス・ジャケット。ただしあくまでも英國紳士らしく、シャツにタイを結んだ着こなしで。
ざっと五十年前の、イギリスの小説家が、カラーレス・ジャケットを着ていたのなら、今の私たちが着ていけないはずはありません。
カップ・フェラを旅するにも、カラーレス・ジャケットは最適かも知れませんよ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone