グレタで、女優でといえば、グレタ・ガルボですよね。
グレタ・ガルボは、1905年9月18日。スゥエーデンのストックホルムに生まれています。本名は、グレタ・ルヴィーサ・グスタフフォン。
グレタは地元で映画に出たのがきっかけで、ハリウッドへ。1925年のことです。ガルボがちょうど、二十歳の時。ここからグレタ・ガルボはハリウッド流の「魔法」がかけられたのでしょう。
ガルボの代表作は、1930年の映画『アンナ・クリスティ』でしょうか。
でも、1941年に引退。結局、1941年の『奥様は顔が二つ』が、最後の映画出演となったのです。
1941年以降も、出演依頼が殺到。しかし、ガルボが首をタテにふることはありませんでした。いや、そればかりか、公の場にはほとんど顔を出していません。日本の、原 節子の場合と少し似ているのかも知れませんが。
ところが。晩年のグレタ・ガルボと一緒に芝居を観に行った男性がいます。その人物の名は、ドナルド・キーン。日本通の文藝評論家。
「ある日、ジェーンから電話がかかってきた。ガルボを芝居に連れていってくれないかというのだった。もちろん私は、喜んで引き受けた。」
『ドナルド・キーン自伝』に、そのように書いています。「ジェーン」とは、ジェーン・ガンサー。ジョン・ガンサーの妻。ジョン・ガンサーとドナルド・キーンは友人だったので。
場所は、ニュウヨーク、芝居は、『アンネの日記』だったそうですね。その後、もう一度、ドナルド・キーンは、グレタ・ガルボに会っています。ガンサーの家の小さな集りで。その時の、キーンの印象。
「特に覚えているのは、口紅がはみだして塗りつけてあることだった。」
なぜ、この時のガルボは、口紅がはみだしていたのか。
ジェーン・ガンサーの意見によると。グレタ・ガルボは自分の顔を鏡で見ることが、出来なくなっていた。
うーん。分かるような気もするのですが。
ただ、男の場合。仮に老醜が気になったとしても。髭を剃る時、鏡を見ないわけにはいきませんからね。