牛タンは、美味しいものですよね。
牛は日本語、タンは英語。「タン・シチュウ」などもありまして。美食の材料のひとつです。
一節に、よく動くところは旨い、とか。考えてみれば、牛の舌も尻尾もよく動きますからね。
牛タンはなぜか仙台が本場ということになっているようです。
仙台での牛タンは昭和二十三年にはじまっているんだとか。これは仙台の「味大助」が古いらしい。「味大助」をはじめたのは、佐野啓四郎。それ以前は焼鳥屋だったという。佐野啓四郎は、なにか人に真似の出来ないものをと考えて、牛タン屋をはじめることに。
牛タンはカロリーが低く、鉄分を多く含む健康食でもあるので。
牛タンが出てくる随筆に、『みそっかす』があります。
幸田 文が昭和二十四年に発表した文章。
「父の進歩性が母を教育したのだろうと思ふが、当時すでにレタスを蒔き、タンを煮、オリーブ油をつかつてゐる。」
幸田 文はお母さんのことをそんなふうに書いています。お父さんが幸田露伴であるのは、言うまでもないでしょう。
幸田露伴が宴会などから帰ってきて。あれを食べた、これも旨かったなどとお母さんに話す。と、お母さんは「こんなものだったでしょうか」と言って、すぐに作ってみるところがあった。幸田
文はそんなふうにも書いています。
幸田 文とおつきあいのあったのが、木下順二。
昭和三十年に、木下順二は幸田 文と一緒に講演旅行に。九州一帯をまわってから、帰京。
それは昭和三十年二月三日のこと。木下順二は旅の途中、洋行の話をしたらしい。
羽田を発つのが、四月五日。二ヶ月前の予定を。
すると幸田 文は朝の五時に木下順二を見送りに来たという。
木下順二の方では洋行の話をしたことさえ忘れていたのに。
牛タンが出てくる『日記』に、『サミュエル・ピープスの日記』があります。
「夕方妻とわたしとマーサーとバーカーは、かわいいミッチェルの店へ、牛の舌とケーキとワインをもって歩いてゆき、」
1667年一月三十日の『日記』に、そのように書いています。つまり友人の家に牛タンを持って行ったのでしょう。少なくとも1667年の英国で、ごくふつうに牛タンを食べていたことが窺えるに違いありませんね。
『日記』には、こんな話も出ています。
「起床して新しいキャムレットのスーツを着る。わたしのコートでこしらえたもので、古いスーツはヴェストにした。」
1667年一月二日の『日記』にそのように書いてあります。
「キャムレット」camlet は、薄く、光沢のあるウール生地。日本で言うところの「パンピース」。
フランス語なら、「カムロ」camlot でしょうか。
英語でのキャムレットは、1400年頃から用いられているんだとか。
どなたかキャムレットでスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。