勉強とベレー

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勉強は、学びのことですよね。
「強いて勉める」と書いて、勉強。でも、ほんとうは、ちょっと違うのではないでしょうか。
むしろ、「好学」の字を宛てたほうがよろしい。「学ぶことが好き」。だから、その道において上達する。「好きこそものの上手なれ」というではありませんか。
勉強より「好学」だったお方に、ドナルド・キーンがいます。ドナルド・キーンは、1922年6月18日。ニュウヨーク、ブルックリンに生まれいます。れっきとしたアメリカ人。なんですが、晩年は日本に住み、日本国籍を得ています。文藝評論家。また、多くの優れた日本文學を、海外に紹介してもいます。

「小学校、中学校、高校を通じて、私は常にクラスで一番だった。あまりに成績が良かったので、何度か難なく学年を飛び越して進級した。」

『ドナルド・キーン自伝』に、そのように書いています。いわゆる、「飛び級」ですね。年齢を越えて進級すること。
ドナルド・キーンは、十六歳で、コロンビア大学に入っています。それはちょうど大人に混じって子供が学ぶ風景だった、とも書いています。
その後も、ドナルド・キーンはハーヴァード大学に学び、オックスフォード大学に学び、ケンブリッジ大学に学んでいます。
ケンブリッジ大学では当然のように、卒業論文を発表。
ドナルド・キーンはほとんど書きあげた卒業論文を仕上げようと、イタリアに行く。ロナウド・キーンは手書きの原稿とタイプライターを持って。パリからミラノへの夜行列車に。
コンパートメントには、イタリア人の相客がいて、煙草を吹かす。列車がミラノに着いた時、ホームに出て、深呼吸を。その時、相客に、「荷物の番」頼む。
十分後、キーンがコンパートメントに戻ると、男は消えていた。荷物と一緒に。その後で、ドナルド・キーンはこう書いています。

「結局のところ、私はミラノの泥棒に感謝すべきだったかもしれない。」

なぜなら、改めて卒業論文を書き直したために、前のより良い内容になったから。
ドナルド・キーンのような人物を、「好学の士」というのでしょうね。
1931年、九歳のドナルドは、お父さんと一緒にフランスへの旅を。その時の写真が一枚遺っています。

「私は船のタラップを登っていて、フランスの少年のようにベレーをかぶっている。」

1931年頃のドナルド・キーンとしては、ベレーはフランスの少年という印象があったのでしょうか。
ベレーについて、少し学びたいものですね。

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