トルストイと鳥打帽子

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

トルストイは、ロシアの文豪ですよね。レフ・トルストイは、1829年9月9日。ロシアの伯爵家に生まれています。
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』は代表作。代表作であると同時に、何度も映画化されています。それくらいに、名作でもあるのでしょうね。

「トルストイといふ人間はいつも一人なので、いつも驚くほど大膽で率直で徹底的である。誰の影響も受けない。」

小林秀雄は、『トルストイ』と題する評論の中に、そのように書いています。
では、小林秀雄は『トルストイ』をいつ書いたのか。昭和十七年頃に。つまり、第二次大戦中のことであります。
その時代の、『文學界』に発表された論文なのです。当時の『文學界』の編集長は、河上徹太郎。『文學界』は小林秀雄に対して、原稿用紙一枚につき、いくらという計算ではなく、一篇に三十円から五十円を支払ったという。
『文學界』が、河上徹太郎が、小林秀雄を高く評価していた結果ではないでしょうか。
小林秀雄は、文藝評論家ですから、なにもトルストイだけを書いていたわけではありません。たとえば、チェホフについても。

「或る夜の夢にチェホフが出て來た。」

これが、小林秀雄の『チェホフ』の第一行。そして、最後の一行が。

「目が覺めた。夜は明けてゐた。僕は魔法使の樣な聖者の顔を想ひ描かうと努めてゐた。」

この間、チェホフは、延々と小林秀雄に語る。そのチェホフの語りが『チェホフ』についての論文になったいるのです。お美事。参りました。さすがは、小林秀雄。
この小林秀雄の『チェホフ』の中に。

「鳥打帽子をかぶり、鼻眼鏡をかけ、不精髭を生やし、痩せた蒼い顔でニコニコしてゐる。」

もちろん、小林秀雄の夢に出てきたチェホフの様子。
アントン・チェホフは、同時代の、ロシアの文豪の中でも、比較的多くの 写真が遺されているほうかと、思われます。たしかに鳥打帽子姿のチェホフの写真もあります。フランスふうなら、「キャスケット」でしょうか。
時には、鳥打帽子を頭に載せて、トルストイの本を探しに行くとしましょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone