ゴルフとゴールド

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ゴルフは、球技のひとつですよね。ちいさな、白い玉を、順番の穴に入れてゆく遊び。
このゴルフをする人のことを、ゴルファー。ひとたびゴルファーになったなら、誰しも夢があります。セント・アンドリュースのゴルフ・コースで試合をすること。
セント・アンドリュースの、オールド・コース。セント・アンドリュースのゴルフ場は、スコットランド、ファイフに位置します。1552年のはじまりと言いますから、世界でもっとも歴史あるコースです。
ゴルフはスコットランドの、羊飼いの遊びからはじまったスポーツとも言われたいます。最古のゴルフ場がスコットランドにあるのは、なんの不思議もないのですね。
セント・アンドリュースが出てくるミステリに、『全英オープン殺人事件』があります。キース・マイルズが、1986年に発表した読物。

「セント・アンドリュースで勝つチャンスはどれくらいだと思う?」

これは、ジェイニイという女の子が、物語の主人公、アラン・サクソンに尋ねる科白。
アラン・サクソンは、全英オープンに出場する、プロのゴルファーという設定になったいます。
ジェイニイの問いに、アランの代りに答えるなら。
「限りなくゼロn近い」。
そう言ったほうが嘘がないでしょう。いくらプロのゴルファーであっても、「全英オープン」で優勝するのは、英国人としてはかなり難しいことなのですから。
ごく大まかにいって、戦前には、英國人ゴルファーが一位になることが、少なくなかった。外国人プレイヤーにとっては、高嶺花だったのです。
セント・アンドリュースの「全英オープン」で、はじめて優勝した外国人は、アルノオ・マッシイ。1907年のことであります。
1907年はもちろん、少なくとも1920年代までのゴルフ・ウエアは、トゥイード・ジャケットに、シャツとネクタイが原則だったのです。もとより、ウエイストコオトを欠くことはありませんでした。
1921年の「全英オープン」では、ジャック・ハッチンソンが、優勝。ジャック・ハッチンソンは、「ジ・オープン」で一位となった、はじめてのアメリカ人となったのです。
この、ジャック・ハッチンソンの後に続いたアメリカ人選手が、ウォルター・ヘイゲンであり、ボビー・ジョーンズでありました。
アメリカ人はトゥイードの上着を着ていては、イギリス人選手に勝てないので、スェーターをゴルフ・ウエアに。こうして、1930年代以降のゴルフ・ウエアは、大きく変化したのであります。
キース・マイルズの『全英オープン殺人事件』の中に。

「薄手のブルーのスーツは、一分の隙もなく、ワイシャツの袖口にはゴールドのカフスを光らせ、これ見よがしにR &Aのネクタイをしめていた。」

これは、セント・アンドリュースの警備責任者、ゴードン・リーマンの着こなし。
「R &Aのネクタイ」は、もちろん「ロイヤル・アンド・エインシャント・ゴルフ・クラブ」の、クラブ・タイのこと。
それに、ゴールドのカフ・リンクス。羨ましい。憧れです。
それはともかく、ゴルフの歴史とネクタイの有無とも、大きく関係しているのですね。

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