マレエは、人の名前にもありますよね。たとえば、ジャン・マレエだとか。ジャン・マレエは往年のフランスの、映画俳優。
ジャン・マレエの代表作は、1946年の『美女と野獣』でしょうか。『美女と野獣』はもともと小説がもとになっています。1740年に、ヴィルヌーヴ夫人が発表した物語。
ジャン・マレエの親友だったのが、ジャン・コクトオ。これはよく知られているところでしょう。ジャン・マレエがコクトオにはじめて会ったのは、1937年のことだったそうですね。
「若々しいその肉体の上に三角形の頭、髪はもじゃもじゃだった。」
ジャン・マレエ著『私のジャン・コクトー』には、そのように書いています。
1937年、『オイディプス王』を上演することになって。その演出が、コクトオだったのです。これをきっかけとして、ジャンとジャンは親交を深めたという。
「ココに手紙を書いてあげてください。風邪をひいています。」
コクトオは、ジャン・マレエに宛てて、そんな内容の手紙を書いているのです。「ココ」がシャネルを指しているのは、いうまでもないでしょう。コクトオはシャネルとも親しくて、それでジャン・マレエもまた、シャネルと仲良しだったそうですね。
マレエではなくて、「マレ」の話、レオ・マレのことであります。ジャン・マレエは、
M ar a is 。レオ・マレは、M al et 。綴りが異なる「マレ」なのです。
レオ・マレはフランスの推理作家。レオ・マレは、1909年、3月7日。モンペリエに生まれています。ジャン・マレエよりも四歳年長だった計算になるのですが。
レオ・マレは1942年、『駅通り百二十番地』で、ミステリ作家に。
レオ・マレが巴里に出るのは、1925年のこと。それからのレオ・マレの職種が多彩であります。シャンソン歌手をてはじめに、人夫、代筆屋、婦人服店、映画の通行人、古本屋、潜水夫……………。これでほんの一部だというのですから、呆れてしまうほどです。
でも、レオ・マレがミステリを書くには、これらの経験が役だったことでありましょう。
1957年にレオ・マレが書いたミステリに、『ミラボー橋に消えた男』があります。この『ミラボー橋に消えた男』を読んでおりますと、こんな描写が出てきます。
「受付の若い女は浅黒い肌をしており、ちぢれっ毛をマドラス織のスカーフに包んでいた。」
これは私立探偵の、ネストール・ビュルマから眺めての様子。
マドラス M adr as はインドの旧名。今のチェンナイのこと。チェンナイは港町でもあります。ここからは多くのインド原産の品々が輸出された歴史があるのです。「マドラス」もまた、そのひとつだったのであります。
このように考えてくれば、マドラスという生地はなにもマドラスに限ったことではありません。もともとは「マドラス港から船出した布」の意味だったのですから。
どなたかマドラスで夏のスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。