パスカルとバスケット・シューズ

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パスカルは、フランスの哲学者ですよね。。もちろん、ブレエズ・パスカル。ブレエズ・パスカルは、1623年6月19日に、クレルモンに生まれています。
お父さんの名前は、エティエンヌ・パスカル。お母さんの名前は、アントワネット。

『人間は考える葦である。』

これはあまりにも有名なパスカルの言葉です。パスカルは思想家だっただけでなく、今の計算機の源や、乗合バスの原型をも走らせています。
パスカルは幼い頃からの天才でありました。お父さんのエティエンヌが、自分の息子が天才だと気づいた時、一つの決心をしています。

「学校にはやってはならない。」

自分の息子は自分で教育しよう、と。
1631年11月に、クレルモンから巴里に移ったのも、そのような事情からだったのです。
1631年12月7日には、巴里のティクスランドリー通りに、住まいを見つけています。年間の家賃は440リーヴルだったと記録されています。
1640年2月頃、パスカルは『円錐曲線試論』を発表。ブレエズ・パスカル十六歳の時のことであります。

パスカルの『パンセ』を冒頭に掲げた小説に、『走れウサギ』があります。アメリカの作家、ジョン・アップダイクが、1970年に書いた物語。この中に、こんな描写が出てきます。

「ケッズのバスケットシューズが裏通りのはがれた砂利を引つ掻いたり、はね飛ばすと、子供たちの声は高く………」

「ケッズのバスケットシューズ」。懐かしいですね。というより、いかにもアメリカらしい風景です。
アップダイクの『走れウサギ』を読んでいると、やはり少年の時代からバスケットシューズを履きなれているアメリカ人には、叶わないなあ、と。
どなたか日本人に似合うバスケット・シューズを作って頂けませんでしょうか。

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