エッチングは、銅版画のことですよね。銅版を台にして描いた絵なので、銅版画。
もう少し詳しく申しますと。銅版に尖った針などで、線を描く。その後にこの線を意図的に腐蝕させる。腐蝕させた線に顔料を流し込んで、仕上げる手法なのです。
「其壁を隙間なく飾つてゐる風雅なエツチングや水彩画などに就て、しばらく彼と話し合つた。」
大正二年に、夏目漱石が発表した小説『行人』に、そのような文章が出てきます。
これは「三沢」と「自分」との会話の場面について。まったくの想像ですが、漱石の自宅にもエッチングがあったのかも知れませんね。
「往来に面した客間の隅には小さいピアノが一台あり、それから又壁には額縁へ入れたエツティングなども懸つてゐました。」
芥川龍之介が、昭和二年に書いた『河童』に、そのような一節が出てきます。
芥川龍之介は、「エツティング」と書いているのですが。いずれにしても、大正、昭和の時代からエッチングが日本人にも親しまれていたことが窺えるでしょう。
「………近い将来にエッチングが全き人気を得る定めだなどと、断定したいとは思わない。」
1862年に、ボオドレエルが発表した評論『エッチングは流行中』の中に、そのような一節があります。1860年代の巴里で、エッチングが流行っていたのは、間違いないでしょう。
エッチングが出てくる小説に、『パリの胃袋』があります。
「………ぼくはあの通りをエッチングで描いたこともあるけれど、まずまずの出来ばえだと思う。いつか家にきたら、見せてあげよう………」
これは「フロラン」の科白として。「あの通り」とは、パリの「ピルエット通り」を指しているのですが。
また、『パリの胃袋』には、こんな描写も出てきます。
「大きい穏やかな顔をして、黒と黄色のスカーフを額に巻いている。」
エミール・ゾラの『パリの胃袋』は、1873年の発表。
ここでの「スカーフ」は、フランスでの「エシャルプ」でしょうか。エシャルプはスカーフでもあり、マフラーでもあり、その意味も広いのですが。
どなたかエッチングを想わせる図柄のエシャルプを作って頂けませんでしょうか。