あづまやとアンペルメアブル

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あづまやは、亭のことですよね。この場合の「亭」は、「ちん」と訓むんだそうですが。
あづまやは、漢字なら、「阿室」もともとは鄙びた造りの小屋の意味だったらしい。
まず本宅がありまして。庭があって、池があって。その近くに、あづまやが。わざと屋根と柱だけの侘びた造り。庭の散歩の途中でちょっと休むために。
ですからもともとは、「鄙びた小屋」の意味だったのでしょう。そこから謙遜をこめて自分の家を「亭」とも呼ぶようになったのでしょう。料理屋の名前にも「春日亭」なんてありますよね。あれは謙遜しての表現だったのです。
また、藝名にもあります。「古今亭志ん生」だとか。あの「亭」も、もともとは「家」の意味があったはずです。

「世之介四阿屋の棟にさし懸り、亭の遠眼鏡持ちて、かの女を………」

井原西鶴の『好色一代男』に、そのような一節が出てきます。世之介はご幼少の砌から、おませだったと、西鶴は説明しているわけですね。

あづまやが出てくる短篇に、『あずまや』があります。フランスの作家、ロジェ・グルニエが、2006年に発表した小説。

「残るは月桂樹、母の大好きな、〈私のあずまや〉と呼んでいるあの場所だ。」

同じくロジェ・グルニエの短篇に、『別離のとき』があります。この中に。

「僕はレインコートを脱いで丸め、リュックにくくりつけ、歩きはじめた。」

レインコート。フランスなら、「アンペルメアブル」
imperméable でしょうか。
どなたか庭園を歩きたくなるような絹のアンペルメアブルを仕立てて頂けませんでしょうか。

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