ビスケットの穿き心地
チノは綾織綿布の一種である。「チノ・クロス」ともいう。チノ・クロスで仕立てたものが、「チノ・パンツ」である。そのために、「チノーズ」chinosとも呼ばれる。
チノはもともと、ミリタリー・ユニフォームのための生地として、はじまっている。
イギリス人はこのチノ・クロスに特有の色から、焼き上げたトーストの色を連想するらしい。私はビスケットの色に似ているのではないかと、思う。ビスケット色の真新しいチノ・パンツに脚を通す時の快感は、ビスケットを食べる時の快感に似ている。
チノ・パンツがアメリカから世界に拡がったものであるのは、まず間違いないだろう。では、アメリカでのチノ・クロスはどのようにはじまっているのか。
アメリカ陸軍がチノ・クロスを採用したのは、1925年のことと考えられている。それはフィリピン派兵のための、コットンによる軍服として。つまりそれ以前のウールによる軍服では暑すぎたからである。
このフィリピン用のユニフォームが、やがて国内でも使われるようになったのだ。この新しいコットンは中国から輸入されたものと考えられたことから「チノ」と呼ばれることになった。が、実際にはこのコットンは、イギリス、マンチェスターで織られたのが最初である。それはインド輸出用の、綾織コットン地であった。マンチェスター産の綾織綿布がどのようにしてアメリカに伝えられたのか、私は知らないのだが。
1925年以降、アメリカのミリタリー・ユニフォームとして使われたチノ・クロスが一般化するのは、やはり第二次大戦後のことと思われる。
1949年『メンズ・ウエア』9月9日号は、アメリカの主要都市でどんなスラックスに人気があるかを調査している。その中のひとつ、ボストンでの様子を次のように報告しているのだ。
「たいていの店では、フェイド・アウトのブルー・デニムを6ドル50セント前後で売っている。チノ、またはカーキー、セイル・クロスのパンツは9ドルから10ドルの間。フラノのズボンは18ドルくらいの値段である。」
今から七十年近く前の話ではあるが、フランネルズの約半分の値段がチノ・パンツというのは、それほど大きくは変わっていないのではないか。それはともかく、1949年のアメリカ、ボストンでは、洋品店にごくふつうにチノ・パンツが並べられていたわけである。
ボストンはアメリカでもどちらかといえば保守的で、実際には1945年頃からチノ・パンツの民間着用ははじまっていたに違いない。
「チノ・クロスとは、コットン・ドゥリルによる生地のことである。それはたいていの場合、光沢加工と防縮加工がなされる。主として軍用。」
マリー・ブルックス・ピッケン著『ファッション辞典』 ( 1957年刊 ) では、そのように解説されている。この『ファッション辞典』は実に丁寧な作りで、難解と思われる訓みには発音記号が添えられているのだ。そして chino には 「シーノ」と書いてある。1957年頃には、「シーノ」と訓んだのだろうか。
「私はその時チノ・パンツだけを身に着けていた。」
ジャック・ケルアック著『オン・ザ・ロード』 ( 1957年刊 ) の一文である。『オン・ザ・ロード』には数多く、ブルー・ジーンズが登場するのだが、チノ・パンツが出てこないわけでもない。
「彼女のスカートは上質のチノ・クロスを使って、見事に仕立てられていた。」
ドナルド・ハミルトン著『リムーヴァー』 ( 1961年刊 ) の一節。チノ・クロスはなにもコットン・パンツ専用と決まっているわけでなく、当然、「チノ・スカート」もあって良い。
「チノ、カジュアルなシャツ、セーター、いかにも秋らしい土曜日に自宅にいる家族思いの男。」
リチャード・バウカー著『上院議員』 ( 1994年 ) に出てくる一行。これはアメリカ上院議員の、ジェームズ・オコナーの姿。自宅にTVの取材が入るので、秘書が気を効かせて揃えた服装なのだ。
1994年頃、アメリカの政治家の、絵に描いたような「良き亭主」を演じるためには、チノ・パンツが欠かせなかったのであろう。