貴族の象徴としての上襟
ブラック・ヴェルヴェット・カラーは読んで字のごとく、黒いビロードの上襟である。典型的な例としては、チェスターフィールド・コートの上襟にあしらわれたりするものだ。
ブラック・ヴェルヴェット・カラーとは言うものの、黒だけに限ったことでもない。時と場合によってはダーク・グレイのヴェルヴェットということもある。またマルーン(栗色)のヴェルヴェット・カラーもないではない。
さらにはコートだけのことではない。ジャケットの上襟にブラック・ヴェルヴェットということだってある。昔、私は淑女の白いシフォンのブラウスの襟が黒のビロードみなっているのを見たことがある。
これは少し極端な例であるかも知れないが、ことほど左様、ブラック・ヴェルヴェット・カラーはひとつのスタイルみなっているわけだ。
ブラック・ヴェルヴェット・カラーは、イギリスの上流階級で生まれた習慣である。そしてブラック・ヴェルヴェット・カラーは、フランス革命と関係している。
十八世紀末のフランス。バスティーユの襲撃が、7月14日のこと。フランス国王、ルイ十六世がギロチンの露と消えたのが、1793年1月21日のことと記録されている。ギロチン台に消えたのはなにもルイ十六世だけではなかった。数多くのフランス貴族が命を落としたのである。
今も昔もフランスとイギリスは、近い。イギリス貴族の中にはフランス貴族に友人知人もいただろう。しかもフランス革命の一因にイギリスの圧力もあった。
しかしイギリス貴族としては何ひとつできない。まさに対岸の火事である。そこでなにか哀悼の気持を静かに表したいと思った。それがブラック・ヴェルヴェット・カラーだったのだ。いわゆるモーニング・バッジ mouning badge のひとつでもあった。
モーニング・バッジは時に「モーニング・バンド」とも言う。つまり「喪章」こと。近親者が世を去った時、ある一定期間、喪に服す。その時に着けるのが、モーニング・バンド。たとえばトップ・ハットの黒いハット・バンドも、モーニング・バンドからはじまっているとの説もある。
ブラック・ヴェルヴェット・カラーがもともとはモーニング・バッジであったことが、これでお分かりだろう。
ところが十九世紀に入ってからは、ブラック・ヴェルヴェット・カラーが一種の流行だと考えられるのである。それというのもブラック・ヴェルヴェット・カラーが、貴族のものでもあったからだ。あたかも友人のひとりにフランス貴族がいたような気分にもなれたのであろう。コートであろうとジャケットであろうと、もしそれが立ち襟であったよするなら、その襟裏にビロードを貼ることがあったかも知れない。これを後の時代になって外に折り返したなら、ごく自然にブラック・ヴェルヴェット・カラーにもなっただろう。そう考えるならビロード襟の歴史にも古いものがあるのかも知れない。
「いくらベルベットの襟をつけてロールスロイスに乗っていても、コックスは労働階級のチンピラにすぎない。」
これはケン・フォレット著『ペーパー・マネー』の一節。フランス革命からざっと二百年後の1987年の刊行である。
二百年もの間、上流階級の印であり続けるブラック・ヴェルヴェット・カラーは、立派というべきであろう。