金時計は、ゴールド・ウォッチのことですよね。金側の時計に外なりません。
腕時計であろうと懐中時計であろうと、外側はたいてい金属。この金属に何を選ぶのか。
プラチナもあれば、シルヴァーもあるでしょう。昔はよくニッケルの時計もあったそうですが。
しかしなんと言っても金時計は理想的でしょう。まず第一に、当たりが柔らかい。人肌に馴染んでくれます。
第二に、換金性が高い。世界のどこを旅していても、金時計さえ持っていれば、万一の時にも困ることがありません。
「年比ハ四十三四。金時計の鍵を。胸の辺りに。散々と計り見せたるハ。昔床しき通人なるべし。」
坪内逍遥が、明治十八年に発表した小説『当世書生気質』に、そのような一節が出てきます。
明治十八年。ということは、金の懐中時計なのでしょう。ここに「鍵」とあるのは、ゼンマイを巻くための「鍵」なんですね。
明治の頃の紳士は、金の懐中時計を持っていたものと思われます。
金時計はいつの時代にも、誰にとっても憧れの的であります。でも、金時計なら何でもよろしいというものでもありません。もし、できることならスイス製でありたいものです。スイス製の金時計は、強い力を持っています。現代の「葵の御紋」にも似ているでしょうか。
スイスの時計産業。それは1598年の「ナントの王令」と深く関係しています。
ナントの王令により、ユグノーが圧迫されて、多くスイスなどに逃れてしまったからです。このユグノーの中に、少なからぬ時計師、金細工師が含まれていたので。
「………「ナントの勅令」の承認とその実施とが緊急を要することを、情理を尽くして説明している。」
渡辺一夫の『世間噺・後宮異聞』に、ナントの勅令のことが詳しく述べられています。
1599年1月7日の出来事として。
また、渡辺一夫の『世間噺・後宮異聞』には、こんな話も出てきます。
「ガブリエルは、花模様の刺繍のついた金襴のトルコ布の衣裳と、赤と白とのフィレンツェの平織絹で仕立てた胴着とをつけていた。」
金襴は、金糸を多く使った紋織物。高僧の袈裟などにも用いられるものです。
どなたか金襴のウエイストコートを仕立てて頂けませんでしょうか。