ダウンとダッフル・コート

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ダウンは、羽毛のことですよね。もちろんdown と書いて「ダウン」と訓みます。たぶん羽根の「下」という意味なのででしょう。
羽根はフェザーで、羽毛がダウンなのです。極上のダウンはこの上なく軽く、この上なく温かい。なぜなら大量の空気を含んでくれるので。
世にダウン・ヴェストやダウン・ジャケットが愛用されるのは、そのためなのですね。

ダウンが出てくる小説に、『赤い雪崩』があります。昭和四十三年に、作家の新田次郎が発表した物語。もちろん登山を背景にした小説。と同時に『赤い雪崩』は、ミステリ風味の物語でもあります。

「一般には、ダウンと呼んでいる羽毛が最高級品だ。ダウンというのは水鳥の綿毛という意味です。生産地は中国が多い。日本でも相当輸入されている」

これは一例で、新田次郎は『赤い雪崩』の中で、ダウンについてかなり詳しく説明をしています。
新田次郎は作家であると同時に、登山家でもあった人物で、登山用品の重要な道具でもあるダウンに一家言持っていたのは、当然でしょう。ダウンのことを学ぶにはまず新田次郎の『赤い雪崩』を読んでから、はじめるべきでしょう。
新田次郎が昭和四十ニ年に発表した小説に、『チロルのコケモモ』があります。新田次郎は日本の山ばかりではなく、世界中の山々にも興味を持っていたようですね。

「前掛け小僧のペーターは、柄になくストッキングなどを穿きこんで、つんつんした鳥の羽根を三本ほど差しこんだ空色のチロルハットのつばを両手に持って」

新田次郎の『チロルのコケモモ』には、そんな描写が出てきます。
「つばを両手で持って」。チロル・ハットにかぎったことではありませんが、ブリムのある帽子は必ず両手で持つのがマナーになっています。念のために。

新田次郎の妻がやはり作家の、藤原てい。藤原ていと、新田次郎との間に生まれたのが、藤原咲子。藤原咲子には、『父への恋文』の随筆集があります。
新田次郎は娘の咲子のことを、「チャキ」と呼んでいたんだそうですね。
また、藤原咲子には、『母への詫び状』もあります。この中に。

「黄金色、並太の毛糸玉は炬燵の脇を行ったり来たりしていたが、夜中の十二時を過ぎてもできあがらないでいた。」

学校の宿題に、編物が出て。咲子は父の靴下を。でも、なかなか出来ないで。と、新田次郎が娘を励まして、ついに完成したと、書いています。

もう一度、新田次郎の『赤い雪崩』に戻りましょう。

「男は吊橋を渡り終ったところで、ウィンドヤッケの頭巾をうしろにはねた。」

頭巾。フードなのでしょう。
必ずフードの付くコートに、ダッフル・コートがあります。寒風のふく海の漁には、フードは不可欠だったでしょう。
昔のダッフル・コートは皆、漁師の手製。ダッフル・コートのフードが粗いのもそのためなのですね。

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