ショパンとシャンダイユ

ショパンは、有名ですよね。
Chpin と書いて「ショパン」と訓みます。
フレデリック・ショパンは、1810年3月1日、ポーランドに生まれています。
ワルシャワから55キロほど西に進んだ小さなむら、ジェラゾヴ・ヴォラに於いて。
ショパンの誕生日にはいくつかの説があります。
でも、ショパン自身は、3月1日だと思っていたらしい。
ショパンがピアノを弾きはじめたのは、四歳の時からだったと伝えられています。
1817年、七歳の時、『ポロネーズ ト短調』を作曲。これは出版もされています。
「早熟」という外ありませんね。
ショパンがウィーンに出るのは、1829年、十九歳の時。
当時、ウィーンにあったカフェ「ジウルカ」には、よく足を運んだという。
「ジウルカ」はその頃、ミュドーヴァ通りにあったカフェ。
これもショパンがよく行った楽譜屋の前に位置していたカフェ。なにかと都合がよかったのでしょう。
若き日のショパンは珈琲を片手に、先輩たちが藝術論を語るのを静かに耳を傾けていたそうですね。
ショパンは「ジウルカ」だけでなく、「ホーラトカ」や
「ブジェジンスカ」などのカフェにも、その姿をみせたそうです。
ウィーンの珈琲は美味しいですからね。
生涯、ショパンの音楽を愛した作家に、ジイドがいます。もちろんフランスの、アンドレ・ジイド。
アンドレ・ジイドは単にショパンを聴くだけでなく、ピアノに向ってその譜面を弾いたのです。
もしジイドが作家になっていなかったなら、たぶんピアニストになっていたでしょう。
それくらいにジイドはピアノが好きだったし、またショパンが好きでもあったのです。
ジイドは後に、『ショパンについての覚え書き』の著書があるほどなのです。
アンドレ・ジイドがピアノを弾くようになったのは、七歳の時。
少年になってからは、ピアニスト、ヨーゼフ・シフマッハーについて本格的な練習をはじめてもいるのですね。
ヨーゼフ・シフマッハーは、ショパンの直弟子だった人物。

「ショパンは提案し、仮定し、仄めかし、誘惑し、説教するが、断言することはほとんどない。」

ジイドは『ショパンについての覚え書き』の中に、そのように書いています。
これとは別にジイドは『日記』の中でも、繰返しショパンを語っています。
ジイドがショパンを熱愛していたのは、間違いないでしょう。
1923年6月17日。ジイドは何をしていたのか。
この日、ジイドはポール・ヴァレリーの自宅を訪ねているんですね。
そこでジイドは、マリイ・ローランサンに会って。
マリイ・ローランサンは何を着ていたのか。

「灰色とアーチチョークの緑の、前の大きくあいた一種のセーターを着た彼女は実に美しかった。」

ジイドはそのように書いてあります。
「セーター」。フランス語なら「シャンダイユ」
chandil でしょうか。
これは「マルシャンダイユ」から出た言葉。
その昔、巴里の中央市場のニンニク売りのおばさんが着ていたので、その名前があります。
どなたかアーティチョーク色のシャンダイユを編んで頂けませんでしょうか。