ドクターは、先生のことですよね。医者であり、博士のことでもあります。
「ドクターは怖い」。それが私の子どもの頃の印象でした。外科の先生。もと軍医の先生ですから、怖いのなんの。でも、腕が優れていたのでしょう、流行っていましたね。
「看護婦か、あらず。国手の回診か、あらず。」
尾崎紅葉の『金色夜叉』に、そのような一節が出てきます。尾崎紅葉は「国手」と書いて「ドクトル」のルビを添えているのですが。
明治の頃にはドクターよりも「ドクトル」だったのでしょうか。
ドクトルをまるで流行語のようにした作家に、北 杜夫がいます。「どくとるマンボウ」シリーズが売れに売れて。
北
杜夫には、『どくとるマンボウ回想記』の随筆しゅうもあります。この本を読んで吹き出さない人はまずいないでしょう。たとえば親友の遠藤周作について、こんなふうに書いています。昔、軽井沢の貸別荘に住んでいた頃の話として。
「………ぼくんとこは、トイレもバスも二つずつあるぞ。おれの息子は、毎日金貨をジャラジャラもて遊んでいるぞ。」
この遠藤周作の言葉を聞いて、北 杜夫は早速、その貸別荘を見に行く。たしかに、大きな別荘で、それは休院中の病院だったとか。子供部屋も覗いて見て。
なるほど、金貨チョコレートを食べていたそうですが。
ドクターが出てくるミステリに、『盲目の理髪師』があります。ディクスン・カーが、1934年に発表した物語。
「ふたりともドクター・カイルのことは聞き及んでいる。ロンドンのハーレイ街でその名を轟かせている医師であり………」
「ロンドンのハーレイ街」。これは病院通りの名前。一般に、ハーレイ・ストリートで開業するドクターは一流だとされる傾向があります。
また、『盲目の理髪師』には、こんな描写も出てきます。
「ツイードのスーツとストライプのネクタイ姿で大げさに身振りしてふたりを歓迎したところなど………」
これは、ドクター・カイルの着こなしとして。
トゥイードの特徴は、永保ちすることです。まさに、一生物。また、ネクタイを結んで良し、タートルネックのスェーターでも良し。応用範囲が広い。
どなたか頑丈なトゥイードのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。