フラメンコは、スペイン舞踊のことですよね。flamenco と書いて、「フラメンコ」と訓みます。
フラメンコはもともと「フランダース風の」という意味だったらしい。ただ、フラメンコの歴史は古く、詳しいことはよく解ってはいません。スペイン各地での民謡が混ざりあって、後のフラメンコになったのではと、考えられています。
フラメンコのふたつの要素は、カンタオールと、バイラオーラ。カンタオールは、「歌い手」。バイオラーノは、「踊り手。歴史的な順番としてはむしろ、カンタオールのほうが先なんだとか。その後に、カンタオールに合わせてのバイオラーノが生まれてんだそうですね。
十九世紀スペインのカンタオーラとして有名だったのが、シルベリオ。シルベリオは1831年、スペインのセビーリャに生まれています。伝説の歌い手。本名は、シルベリオ・フランコネッテ・アギラール。
シルベリオは少年の頃、同じセビーリャのモロン村に移っています。ここで兄が洋服屋を開いていたので。その頃のシルベリオは兄を手伝って、洋服を縫ったりもしていたとのことです。
その一方、シルベリオは幼い頃から美声の持ち主で、また、歌が上手だった。シルベリオが歌うと皆、涙を流して聴きいったという。
1870年代、シルベリオはセビーリャに、カフェ・カンタンテを開いています。カフェ・カンタンテ。直訳いたしますと、「歌声喫茶」でしょうか。でも、その実態はフラメンコを歌って、聴かせる店のこと。
シルベリオは1870年代から、1880年代のはじめにかけて、「カフェ・デ・シルベリオ」などのカフェ・カンタンテをいくつか開いてもいます。
近代のフラメンコの発展と、カフェ・カンタンテの普及には、大きな関係があります。カフェ・カンタンテがフラメンコを流行させた、そう言って過言ではないでしょう。
この偉大なるシルベリオが世を去ったのは、1889年5月30日のことであったという。
スペインの詩人、ガルシア・ロルカは、シルベリオを讃える詩を詠んでもいます。シルベリオの人気のほどが窺えるでしょう。
フラメンコが出てくる紀行文に、『スペイン旅行記』があります。1930年に、カレル・チャペックが発表した旅の記録。実際にカレル・チャペックがスペインを旅したのは、1929年のことなのですが。
「フラメンコは、ギターに合わせてうたわれ、踊られ、演奏される。リズムに合わせて手をたたき、カスタネットと木靴のヒールを打ち鳴らし、さらにそれに掛け声が加わる。」
カレル・チャペックはそのように書いています。
カレル・チャペックは旅を愛した作家。1936年の7月には、妻のオルガと共に、スゥエーデンにも旅しています。
この時のカレル・チャペックの着こなしは、プラス・フォアーズになっているのです。
「プラス・フォアーズ」。膝下に4インチのゆとりがあるので、プラス・フォアーズ。これとは別に「プラス・トゥーズ」もあって。これは膝下2インチの余裕のことなのです。
どなたか1930年代のプラス・フォアーズを仕立てて頂けませんでしょうか。