スープとスティフ・ブザム

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スープは、液体食事のことですよね。soup と書いて、「スープ」と訓みます。
スープもまた、おしゃれと無関係ではありません。アメリカでの言い方に、「スープ・アンド・フィッシュがあります。まず最初にスープが出て、それから魚料理出てくるような正式晩餐会に着る服装のこと。つまりは燕尾服なんですね。
そういえば最近ではフルコースでもスープが省略されることもあるようですが。前菜があってメインがあってという方がモダンなスタイルになっているのでしょう。
美味しいスープを作るには、手間も暇もかかる。材料費もバカにはなりません。その割には、尊敬されることの少ない料理であるのかも知れませんね。
でも、スープにはスープの良さがあります。たとえば、恋わずらいかなにかで、「食事ものどに通らない」。そんな時でもスープなら口に入るでしょう。最低限の栄養はとれるでしょう。

「スープの塊の中に半熟卵が透き通っている夏場の料理で、私は夏、どこへ行こうかというと、よくその卵料理専門店へ行こうと主張した。」

昭和三十七年に、森 茉莉が発表した随筆『卵料理』の中に、そんな文章が出てきます。
その昔の巴里には、卵料理専門店があって、そこでは特別の卵スープがあり、それが森 茉莉のお気に入りだったらしい。
森 茉莉がその頃の夫、山田珠樹の巴里留学にともなって巴里にしばし住んだのは、1922年のこと。森 茉莉が十九歳のことでありました。つまり森
茉莉の話は今からざっと百年前のことになるのですが。
森鷗外が世を去ったのは、1922年7月9日のこと。この報せを森 茉莉は、たまたまいたロンドンの宿で受け取っています。
ただしその電文の内容は、森 茉莉の心情を慮って、「チチキトク」になっていたという。森
茉莉は、「パッパ大好き」と公言した娘だったのです。ほとんど恋人のように想っていたのですから。その時の森
茉莉は食事も進まないくらいだったのでしょう。当然のように。「今すぐ日本に帰りたい」。この時、森 茉莉に噛んで含めるように諭したのが、辰野 隆。辰野
隆は、山田珠樹の同僚だったので。

「今、君が日本に帰りたい気持はよくわかる。でも、せっかく山田珠樹君の勉強が佳境になっている。今、君が日本に帰ったところで、お父さんのぐわいが良くなるとは限らない。君が今日本に帰ると、山田君の勉強が中断される。」

辰野 隆はおよそそんな話を森 茉莉にした。これは後世に遺る名説得ではないでしょうか。
森 茉莉は辰野 隆のこの話を聞いて、翻心したと伝えられています。

スープが出てくる随筆に、『日本紀行』があります。英国のイザベラ・バードが、1880年に発表した紀行文。イザベラ・ルーシー・バードは、1931年10月15日。英国のヨークシャーに生まれています。幼い頃から病弱、医者から転地療養を兼ねて、旅を勧められて。これがきっかけになって、世界中を旅することになった女性なのです。1878年には、日本にもやって来ています。その時の紀行文が、『日本紀行』なのですね。この中に。

「スープのうち中流階級の飲む主なものは味噌汁、卵汁、澄まし汁である。」

イザベラ・バードは、当時の日本の食事についても詳しく述べています。
イザベラ・バードは言葉の問題もあって、日本人の通訳兼案内人をひとり雇っています。その時の面接の様子について。

「ヨーロッパ式の浅いお辞儀すらできないほど糊の固くきいた白いシャツといういでたちで現われました。」

これはある面接者について。ここでの「糊の固くきいた白いシャツ」は、「スティフ・ブザム」stiff bosom
のこと。日本語で申しますと、「イカ胸」。正装用のシャツのこと。「この部分は下着ではありませんよ」と言うために。
どなたか本式のスティフ・ブザムのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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