マドモアゼルは、フランス語ですよね。お嬢ちゃんのこと。
マドモアゼルではない、貴婦人の場合は、マダム。マドモアゼルは、ふつう、未婚の若い女を指すようですね。
もし、どちらか分からない時には、「マダム」と言ったほうがより安全かも知れませんが。
日本での令嬢は、江戸末期にはすでに用いられていたらしい。
「更に數品を出して曰く、此の縞は即ち令娘に適す可き也」
服部誠一が、明治七年に発表した『東京新繁昌記録』に、そのように出ています。ここでの「令娘」は、令嬢の意味かと思われます。
これに今の銀座の呉服屋での生地選びの場面。明治のはじめには、今の時代よりももっと、年齢や立場によって着物の柄が決められていたようですね。
「ヴェトナムといえば一九四〇年代の終りに、私たちの女子大でフランス語を教えてくれたマドモアゼル・ヴェも、サイゴン生まれのサイゴン育ちでした。」
1994年に、須賀敦子が書いた随筆『マドモアゼル・ヴェ』に、そのように出ています。
須賀敦子は、1929年の生まれ。聖心女学院に学んでいます。1940年代の聖心女学院には、マドモアゼル・ヴェというフランス語の先生がいたのでしょう。
須賀敦子ははやくからフランスに憧れていて、事実、フランスに留学。でも、フランスの空気になぜか合わなくて、すぐにミラノに移っています。
須賀敦子はイタリアの空気にはよく馴染んだみたいで、1961年には、イタリア人男性、ジュゼッペ・リッカと結婚もしています。
まあ、それぞれ人によってその国に合う合わないがあるのでしょうね。
マドモアゼルが出てくる小説に、『戦争と平和』があります。トルストイが1860年代に書いた長篇。とにかく登場人物の名前だけで、559名いるというのですから、長篇以外の何物でもありません。単行本の場合、たいてい3巻本として構成されるのも当然でしょう。
「きみはマドマゼーユ・シェーレルに対してなんということをしたのだ? あの女は今ごろすっかり病気になってるぜ」
これはアンドレイ公爵の言葉として。ここでは「マドマゼーユ」となっているのですが、たぶん、マドモアゼルのことかと思われます。
『戦争と平和』を呼んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「アンドルリ公爵は玄関の間へ出ると、マントを着せかける従僕に肩を差しだしながら、無関心な様子で、これも玄関のの間に出てきたカッポリート公爵との妻のおしゃべりを聞いていた。」
マントはわりあい着脱の楽な服装です。でも、誰かが後から手伝ってくれると、もっと楽に着たり脱いだりができるものです。
どなたか1860年代のマントを復活させて頂けませんでしょうね。