濁り酒は、濁酒のことですよね。白い濁りのあらわれる酒のこと。
米から酒を醸した後、濾していない酒のことです。時には、濁り酒も風情のあっていいものですね。江戸初期までの日本酒はほとんど濁り酒だったそうですから。
「濁り酒濁れるを飲みて 草枕 しばし慰む」
島崎藤村が、明治三十四年に詠んだ詩に、そんな一節が出てきます。
小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ
そんなふうにはじまる『小諸なる古城のほとり』の、最後の段落に。
明治三十年頃の島崎藤村は濁り酒を飲んだのでしょう。
日本の酒は濁り酒からはじまっています。今のような清酒は江戸後期からのことでしょう。
「灘か、伊丹か、地酒か濁酒かが分る為め、言ひ換えれば酒の資格を鑑別する為めであります。」
夏目漱石が明治四十一年に発表した随筆、『創作家の態度』に、そのような文章が出てきます。
灘の酒。伊丹の酒。江戸期には関西の酒が好まれて。関西から関東ヘ船で運ばれて。この輸送中に酒の味が良くなると信じられていたのですね。
ここから「下り酒」が貴重品だった。つまり「下らない」はここにはじまっているのです。
夏目漱石が大正四年に発表した小説に、『道草』があります。これは小説なのですが、漱石の自伝的要素が強い物語となっているのです。
「田舎の洋服屋で拵えた其二重廻しは、殆んど健三の記憶から消えかゝつてゐる位古かつた。」
大正のはじめの二重廻しには、年期の入ったものも珍しくはなかったのでしょうね。日本での二重廻しの流行は、明治二十年代からのことですから。
二十廻しは、スコットランドのインヴァネスを参考に日本で考えられた外套。まあ、そうは言っても外套の丈を長くしただけのこと。
インヴァネスは、主に洋服の上から羽織る。これに対して二十廻しは、和服用。和服の着丈に合わせて長くした外套なのです。その意味での二重廻しは、「長インヴァネス」でもあったでしょうか。
「襟に毛皮の付いた重さうな二重廻しを引掛けながら岡本が、コートに袖を通してゐるお述を顧みた。」
夏目漱石が大正五年に書いた『明暗』に、そんな文章が出てきます。たしかに襟の猟虎の毛皮を張った二十廻しは、珍しくなかったらしい。
たぶん漱石も一枚や二枚持っていたのでしょうが。
どなたか猟虎の襟のある二十廻しを仕立てて頂けませんでしょうか。