ふかひれとフローシャイム

ふかひれは、中国料理にありますよね。
ことにふかひれの姿煮は美味しいものです。また、贅沢な食べ物のひとつでしょう。
「ふかひれ」とは申しますが、実際にはサメの一種なんだそうですね。
サメの鰭自体は無味無臭。それを手間暇かけて、あのとろりとした美味仕上げるのですから、中国料理の奥は深いものがあります。
ふかひれそのものは、江戸時代の日本でも識られていて。いや、重要な輸出品だったのです。今の中国に向けての。
ことに珍重されたのが、気仙沼産。気仙沼での乾燥のさせかたが、丁寧だったのでしょう。

「フカヒレについて記述は明代の李時珍『本草綱目』にさかのぼる。」

張 競(ちょう・きょう)著の『中華料理の文化史』に、そのように出ています。
この『本草綱目』は、1596年の刊行。つまり中国では、十六世紀からすでにふかひれを食べる習慣があったのでしょう。
はじめて私がふかひれを食べさせてもらったのは、1970年代のこと。邱 永漢のご自宅で。ご自宅は目黒区青葉台にありました。
邱 永漢が食通だったのは、言うまでもありません。また、人を招いてご馳走をふるまうのが、趣味でもあったお方。
とにかくご自宅に専門の料理人を雇っているのですから。
さらに奥様の苑蘭は、料理研究家。自宅の中国人コックに料理を教えるほどのお方。
これで美味しいものが頂けないはずがありません。
邱 永漢の自伝に、『わが青春の台湾 わが青春の上海』があります。
邱 永漢は台湾に生まれ、上海で育ったお方ですから。
この自伝の中に。

「靴は龍子行に行って、アメリカ製のフローシェイムを買った。」

そのように出ています。
もちろん、戦前の上海でのこと。ある時、二十六歳の邱
永漢は、急に大金持ちになって。運転手付きのオースティンに乗るように。身なりも上から下まで一流品で整えて。
邱 永漢は「フローシェイム」と書いているのですが、これは私たちのいう「フローシャイム」Florsheim のことかと思われます。
フローシャイムは、アメリカ、イリノイ州の靴屋。
1892年に、ミルトン・フローシャイムがはじめたので、その名前があります。
ミルトンのお父さんは、手縫いの靴職人。南北戦争の時代には軍靴を作っていたとのこと。
今もフローシャイムの靴が頑丈なのも、当然かも知れませんね。
どなたかフローシャイムに優るとも劣らないブローグを作って頂けませんでしょうか。