リアリティとリネン

リアリティは、真実のことですよね。本当のこと、現実のこと。
reality と書いて「リアリティ」と訓みます。
もともとは「リアル」real から出ているのでしょう。
「リアリズム」だとか、「リアライズ」だとか、難しいそうな言葉がたくさんあるみたいですが。

「ロマンチックな作者とリアリスチックな作者との區別、さういふことがありありと私の頭に映つて見へた。」

田山花袋の随筆『東京の三十年』に、そのような一節が出てきます。
これは明治三十六年五月十日頃の話として。
当時の「丸善」の二階で、モオパッサンの『短編集』を買って、読んだ時の印象として。
明治三十六年頃の文士が「リアリスチック」の言葉を遣っていたのは、まず間違いないでしょう。
明治四十二年にヨオロッパに洋行した学者に、寺田寅彦がいます。
寺田寅彦の『旅日記から』を読んでおりますと。

「しかしそう思って連山を眺めた時に「地球の大きさ」というものが朧気ながらに実認されるような気がした。」

四月二十七日の記録として、そのように出ています。これは客船からシナイ連山を見た時の感想。
寺田寅彦は「実認」と書いて、「リアライズ」のルビを添えています。

「アチャラカにして笑はすには余りリアルだし、まじめにやっちゃ笑はせようもないし、いやんなる。」

『古川ロッパ昭和日記』に、そのような文章が出てきます。昭和九月五月三十日、水曜日のところに。
もちろん自分の演技について。
古川ロッパはこの日、舞台の合間を縫って、「松屋」に行ってネクタイを買っているのですが。

「シナリオもいゝが、フランク・キャプラってリアリストの監督参った。此ういふものを見ると、リアル映画やってみたくなる。」

『古川ロッパ昭和日記』。昭和九年九月四日、火曜日のところに、そのように書いてあります。
これは当時日本で公開された映画『或夜の出来事』を観ての印象として。
クラーク・ゲイブルの映画ですよね。
リアリティが出てくる短編に、『赤毛』があります。
英国の作家、サマセット・モオムが1921年に発表した名作。

「彼奴らが夢中になって議論している実在ってものが、何かはじめてしっかり自分のものになった気がしたもんだ。」

これは「ニールソン」の言葉として。ニールソンは、ホノルルで宿を経営している人物と設定されているのですが。
ここでの「実在」の原文は、「リアリティ」になっています。
モオムが同じ時期に書いた短編に、『雨』があって。これまた、ホノルルが背景になっているものですね。

「そう言って、彼は古ぼけた亜麻服を着た身体をバツが悪そうにゆすらせた。」

これは「ホーン」という人物について。
ここでの「亜麻服」は、リネン・スーツなのでしょうか。
どなたか1910年代のリネン・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。