モオツアルトとモレトン

モオツアルトは、説明の必要がありませんよね。
もちろん、ヴォルフガング・アマデウス・モオツアルトのことであります。
モオツアルトは、1756年1月27日に、今のザルツブルクに生まれています。今からざっと二百六十年ほど前のことでしょうか。
モオツアルトは1791年12月5日に、世を去っているのですね。三十五年の人生だったわけです。
モオツアルトは、その三十五年の人生のなかで、少なくとも六百曲を作曲しているとのこと。
ただ、このことだけを考えてみても、モオツアルトが天才だったのは、間違いないでしょう。
たとえば、『フィガロの結婚』。オペラの世界に『フィガロの結婚』がないとしたなら、どんなに寂しくなることか。
モオツアルトの才能にはじめて気づいたのは、お父さんのレオポルト。
それでお父さんは音楽教師をやめて、モオツアルトのマネージャーになることを決心。
当時の音楽は主に宮廷で好まれていました。そこで、お父さんはモオツアルトを連れて、ヨオロッパを旅したわけですね。モオツアルトの人生は、旅の人生でもありました。
たとえば。1763年に、モオツアルトは巴里に着いています。その年の十二月に。
では、巴里でのモオツアルトはどんなふうだったのか。
当時の『文藝通信』は次のように伝えています。

「彼は難曲を正確に演奏するのは容易なことで、一時間でも楽譜なしで、霊感と魅惑的な楽想に身を委ね、次々と引き続けることができるのです。」

1763年『文藝通信』12月1日号の記事に、そのように書いてあります。
モオツアルト、十二歳の時に。
晩年のゲエテが、七歳の時のモオツアルトの演奏を聴いた話は有名でしょう。その時のゲエテの印象。
「絵でいえばラファエロ、文学でいえばシェイクスピアに匹敵する才能。」
モオツアルトを愛した文人に、ロマン・ロランがいます。
スタンダールに『モオツアルト』の著書があります。この本の序文にも、ロマン・ロランは一筆、文章を添えているほどに。
ベルナール・デュシャトレの『ロマン・ロラン伝』を読んでおりますと。
書斎でのロマン・ロランはいつもグレイのマントを羽織っていたという。そして、そのマントはメルトン製だったとも。
メルトンは、英語。フランスなら、「モレトン」molleton 。
どなたかモレトンのケープを作って頂けませんでしょうか。