汽車は、汽車ポッポのことですよね。
煙突から煙をポッポと出して走るので、汽車ポッポなんでしょう。
つまり蒸気機関車に牽かれて走る列車のことを、汽車。
今は多く電気の力で走るようになっています。それで「電車」なんですね。
汽車の時代には列車の等級が多かった。
特等車があり、一等車があり、二等車があり、三等車があったものです。
特等車の上がないわけではありません。
御召列車。天皇陛下、皇后陛下専用車。
御召列車をもっとも多く活用なさったのが、昭和天皇。
昭和二十一年から、昭和天皇が日本全国を巡行なさったことは、歴史上の事実であります。
この時のご移動は、御召列車だったのです。
目的地に着いてからは、馬車のことも。この馬車も御召列車に積み込んでいたとのこと。
昭和天皇が皇太子の時代に一度だけ、民間の通常車両にお乗りになったことが。
大正十年の欧州外遊中の巴里で。メトロにお乗りになった。
パレ・ロワイヤル駅から、ジョルジュ・サンク駅まで。
皇太子(後の昭和天皇)はこの時の切符を長く保存していたとのことです。
皇太子の大正十年の欧州旅行は、その後の御召列車にも、影響を与えています。
それまでの和風の内装を、洋風に改められたのです。
これもまた例外的なことではありますが。
天皇陛下が御召列車の中で、ご一泊なさったことも。
昭和二十一年六月六日、千葉の銚子で。この日、お宿の手配がうまくゆかなくて。
急ぎソファーをベッドに改造して、ここでお休みになったという。
御召列車はまた、「御料車」とも。ただ、御料車だけで走るわけではありません。必ず「供奉車」がつく。御付きの者たちが乗るために。
昭和二十九年七月十四日。天皇は皇后とご一緒に、那須の御別邸に。
この時は原宿駅を九時二十五分にお出になり、黒磯駅に十二時二十五分に、お着きになっています。
明治四十二年に、夏目漱石が語った話に、『汽車の中』があります。
これは列車の中での談話を纏めたものなので、『汽車の中』になっています。
「京都では高尾などに行つて見た。紅葉はまだ早い、」
柿は食べないが、栗は食べた。そんな内容になっているのですが。
夏目漱石が大正五年に発表した小説に、『明暗』があります。この中に。
「それで此奴自動車だのキツドの靴だのつて、高いもの許強請るんだな。」
これは男の子「真琴」に対する「津田」の言葉として。
「キッド」kid は、「子やぎ革」のこと。薄く、柔らかく、伸縮性に富んでいます。
靴ばかりか、手袋などにも。
どなたかキッドのスリッポンを作って頂けませんでしょうか。