巴里は、憧れの街ですよね。
巴里は今も昔もなぜか人を惹きつける魔力を持っています。
事実、巴里で名案を見つけたお方も少なくないでしょう。
巴里に行ったがために小説を書いた、とか。
巴里に行ったがために、絵を描いた、だとか。
ひとつの例ではありますが、佐伯祐三。
佐伯祐三は巴里の空気を吸って、それを絵筆に乗せた画家であります。
大正十二年に巴里を訪れた画家に、石井柏亭がいるのは、ご存じでしょう。
石井柏亭が巴里のサン・ラザール駅に着いたのは、朝の七時。1923年1月6日に。
石井柏亭の紀行文『巴里日抄』に、そのように出ています。
石井柏亭は巴里の「オテル・レカミエ」に泊まって。
オテル・レカミエ」は偶然にも、詩人の木下杢太郎が泊まった宿でもあります。
「オテル・レカミエ」は、巴里左岸の、サン・シュルピスに近い辺りにあったという。
「ヴァン・ゴオグの鰊の静物や、アンリ・ルウソオの風景など出して私に示した。」
これは友人を宿に訪ねた時の様子として。
友人とは、土田麦遷。宿とは、「オテル・ビソン」。
ここでの「ヴァン・ゴオグ」は、ゴッホのことかと思われます。
大正十三年に巴里に着いたのが、佐伯祐三。
佐伯祐三にとってのはじめての巴里だったのですが。
1924年月3日に巴里に着いています。
1923年11月26日。神戸港を「香取丸」で出発して。
佐伯祐三、二十五歳の時でありました。
佐伯祐三は巴里の空気を描いた画家と、言えるでしょう。
佐伯祐三の代表作のひとつに、『郵便配達夫』があります。1928年に描いた油絵。
この頃の佐伯祐三は体調を崩していて、外にも出られなくて。
そこに、たまたま郵便配達夫が。そこで、モデルになってもらったわけですね。
郵便配達夫がただ椅子に座っているだけの絵なのですが。
「私はその暗鬱な気迫の充実した絵の前に立って、余りにも他の画家たちと違う其の違いざまの烈しさに驚いた。」
作家、中河与一は、『祐三との交遊』にそのように書いています。『郵便配達夫』を観た時の印象を。
大正十五年、九月のこと。
その後、中河与一は小説『女軆』を出しています。
中河与一は『女軆』の装丁を佐伯祐三に頼んでいます。
1925年に佐伯祐正に会ったのが、芹沢光治良。
佐伯祐正は、佐伯祐三のお兄さん。
1925年5月に神戸を出た「白山丸」の上で。
佐伯祐正は弟の体調を心配して、日本に連れ戻そうと考えていたのです。
1924年に、佐伯祐三が描いた絵に、『パレットを持つ自画像』があります。
この絵の中の佐伯祐三はバスク・ベレをかぶっているのです。
どなたか佐伯祐三のバスク・ベレを再現して頂けませんでしょうか。