新古典衣裳
エプロンは洋風前掛けのことである。古くは「前垂れ」とも呼ばれたものだ。
エプロンはふつう服の前にかけて、汚れを防ぐために使われる。エプロンは、英語。フランスでは、「タブリエ」tablier 。イタリアでは、「グレンビューレ」 grembiule 。ドイツでは、「シュルツ」 schurze となる。
イギリスでは昔エプロンのことを 「ネイプロン」 napron と呼んだ時代がある。この「ネイプロン」は、ラテン語の「マッパ」 mappa と関係がある。「マッパ」はテーブル・クロスの意味。「マッパ」から生まれたのが、ナプキンとマップ。
そうしてみると、テーブル・クロスも、ナプキンも、マップも、エプロンの親戚である、とも言えるのかも知れない。「ネイプロン」が「エイプロン」に変わったのは、十四世紀のことである。もちろん今の「エプロン」のことだ。
「古代エジプト時代から今日に至るまで、ほとんどその姿を変えることなく継続されているものとしては、エプロンは世界最古の衣裳である。」
ラドミラ・キョバロヴァ、オルガ・ヘルべノヴァ、ミレナ・ラマノヴァ共編『ザ・ピクトリカル・エンサイクロペディア・オブ・ファッション』( 1968年刊 ) には、そのように説明されている。
少なくとも古代エジプトにエプロンに似た衣裳のあったことが知られている。それはごく薄い麻布を三角形に畳んだ、小型のエプロンであった。その美しい三角のエプロンは、権力者の象徴であった。
後の服飾史家は、「トライアングラー・エプロン」と呼んでいる。それよりも前の時代、クレタ島にもエプロンがあったという。それはクノソスから出土した人形が身に着けている衣裳として。
それは女性の姿で、蛇を両手に捧げ持っている。あるいは呪術者でもあろうか。彼女は長いスカートの上に、装飾的な、先端を丸くしたエプロン重ねている。神秘性を高めるため衣裳であったのだろうか。
1533年に、フランスのアンリ二世に嫁いで、国王妃となったカトリーヌ・ド・メデシスもまた貴重なエプロンを持っていたという。それはダイアモンド、パールなどを二千個も鏤めたエプロンであった。これもやはり権威の象徴であったのだろう。
1741年に、英国の画家、フィリップ・メルシエの描いた『チャールズ・イングラムの肖像』がある。この絵にはチャールズ・イングラム本人に加えて、その子供と思われる少年少女も描かれているのだ。その少女のドレスの前には縦長の、ドレスと同じ丈の白いエプロンが重ねられている。これもまた装飾としてのエプロンであったのだろう。
「私は六歳になるクリティのために、黒いビブとエプロンとを買った。これによって彼女のフロックは美しく保たれることであろう。」
1759年、イギリスの『ウイリアムソンの手紙』の一節。1750年代の英国でも、少女のドレスの上にエプロンを掛けることがあったものと思われる。
ただしエプロンは少女だけのものではなかった。また、女性だけのものでもなかった。中世の英国でもエプロンの種類によって、およその職業が分かったものである。たとえば、レザー・エプロンは、鍛冶屋、石工の使うものであった。
また、「チェックド・エプロン・メン」といえば、それは理髪師の別名でもあったのだ。家具運搬人は、グリーン・ベイズのエプロンと決まっていた。「ベイズ」は粗いウール地のことである。「ブルー・エプロン・メン」は、手仕事による職人の呼び名でもあった。
肉屋は白とブルーのストライプのエプロンを使った。また一般に「エプロン・メン」といえば、「給仕人」を指す言葉だったのである。
一方、フランスには「レンドレ・ソン・タブリエ」 ( エプロンを返します) の言い方があるという。これは使用人の「お暇をいただきます」の意味であるという。エプロンは雇い主が用意するものだったからであろう。
「「給仕がみんな女だから面白い。しかも中中別嬪がおりますぜ、白いエプロンを掛けてね……」」
夏目漱石著『行人』の一文。これは「岡田」が「自分」にいう科白。列車内での食堂車を指しての話なのだ。日本の小説に登場する「エプロン」としては比較的はやい例であろう。
「社会の秩序・安寧を保つための軍隊も警察も一種の「前掛け」に過ぎない……」
英国の歴史家、トーマス・カーライル著『衣裳哲学』には、そのように出ている。とにかくエプロンが単に服を守るためだけのものではないようである。