井伏鱒二とアスコット

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井伏鱒二の本名は、満寿二なんだそうですね。
でも、釣りがお好きなので、鱒二。
井伏鱒二が昭和三十四年に、家を建てることに。この時、設計をお願いしたのが、広瀬三郎。作家、広瀬 隆のお父さんなんだそうですね。
建築家、広瀬三郎は設計を頼まれると。井伏鱒二の著作を全部購入して、読破。その読んだ中に。

「深夜、酒に酔って帰ると女房の手前、しきいが高くなる。」

という一文があった。広瀬三郎、これを読んで、ほんとうに敷居を高くしたという。
広瀬三郎は、吉田健一、安岡章太郎、中川一政……などの邸宅をも手がけています。ところが、ある日、突然に、工房を閉めています。思い通りの木材が入らなくなったので。名人気質の建築家だったのでしょう。
もうひとり、井伏鱒二の愛読者が。川島雄三。そういえば、川島雄三も名人気質の映画監督でしたね。昭和三十二年に、『太陽幕末伝』を撮っています。川島雄三の弟子が、藤本義一。
川島雄三は、『貸間あり』を撮ってもいます。原作はもちろん、井伏鱒二。フランキー堺、淡島千景、桂小金治、浪花千栄子、乙羽信子……。豪華な顔ぶれであります。
昭和三十年ころ。川島雄三は宝塚の「春駒」を定宿にしていて。当然、若き日の藤本義一もよく通ったという。
川島雄三は、日本映画史上、伝説的な洒落者でもありました。靴ひとつとっても、手縫いのマレリーしか履かなかったそうですね。
川島雄三は淡いグリーンのスーツがお好きで。たいていはシャツにタイを結んだ。その時代の映画監督は、ネクタイを結ぶのは珍しいこと。そしてそのシャツの前立ては、比翼仕立てになっていたらしい。

「そうそう、深緑の上着は、ワイン・カラーのアスコット・タイを結んでいたり……」

井伏鱒二著『駅前旅館』の一節に、そのように出ています。
さて、なにかアスコット・タイを結んで。井伏鱒二の本を探しに行くとしましょうか。

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