コスモポリタンとアバークロンビー

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コスモポリタンという雑誌がありますね。「コスモポリタン」でいいのか、それとも「コズモポリタン」いうべきなのか、迷ってしますのですが。ここでは、「コスモポリタン」にしておきましょう。
「コスモポリタン」が創刊されたのは、1886年のことなんだそうです。ポール・シュリッツによって。ポール・シュリッツの狙いは、「一流の家庭雑誌」だったという。この時の発行部数、25,000部。
それからいろいろいろ紆余曲折がありまして。だんだんと読み物に力を入れるように。つまり「文芸誌」に近くなる。1892年の発行部数、75,000部だったらしい。
「コスモポリタン」は1930年に、170万部。これは一流作家の文章を載せるようになったから。広告料金は、5億円を突破しています。1930年の5億円は今のいくらくらいなんでしょうか。
1940年代に、200万部。この200万部が頂点で、それからは下り坂になってゆくのですが。
1948年に「コスモポリタン」の編集者だったのが、A・E・ホッチナー。
1948年の春、ホッチナーはハバナ出張。ヘミングウェイに原稿を依頼するために。テーマは、「文学の将来」だったという。アーネスト・ヘミングウェイはその頃、ハバナに住んでいたから。
ホッチナーはハバナでヘミングウェイに会って、意気投合。しばらくハバナで優雅に遊んでいます。たぶん原稿も書いてもらえたことでしょう。
A・E・ホッチナーは後になって、『パパ・ヘミングウェイ』を仕上げています。1948年の出会いをきっかけに、終生、親しくつきあったからです。『パパ・ヘミングウェイ』の中に。

「ヴィエラのシャツ、パンツ、ショーツ、ソックス、ベルト、その他の品物を山ほど積みあげて出てきた。」

これは1954年。ハバナでのヘミングウェイの様子。大きな段ボール箱の中に、「アバークロンビー&フィッチ」の服が入っていたのです。その頃の「アバークロンビー&フィッチ」は超がつく高級洋品店だったのですが。
「アバークロンビー&フィッチ」を夢に。古い「コスモポリタン」探しに行きましょうか。

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