ホンジュラスという国がありますよね。中央アメリカに位置する国。グアテマラや、エルサルバドルに近い場所にあります。
ホンジュラス Honduras は英国風の発音で、母国語では、「オンデュラス」に近くなるんだそうですね。「オンデュラス」スペインの言葉で、「深さ」のことなんだとか。
1502年に。コロンブスがこの地を発見して、上陸を。船の錨を下ろそうとして、届かない。海が、深い。で、「オンデュラス!」。これが後に国の名前になったんだそうですね。
ホンジュラスはまた、珈琲の国でもあります。ホンジュラスには山岳地帯があって、標高の高い所ではなかなか良質の珈琲豆が採れるという。ホンジュラスの、サンタ・バーバラや、コパン、コルテッツ、ラ・パツなどは珈琲の産地となっています。
ホンジュラスであろうとなかろうと、世に珈琲通といわれる人は、珈琲豆を買う時、たいてい産地を指定するんだそうですね。文豪、バルザックなども珈琲には煩くて、自分で珈琲豆を、それぞれの豆を得意とする店を何軒か回ったと、伝えられています。
バルザックより少し後の時代の詩人、ランボオはどうだったのか。ランボオももちろん珈琲を飲んだでしょう。が、バルザックほどの逸話は遺されてはいません。
しかし。晩年のランボオが珈琲豆の取引と関係があったのは、間違いないようです。1880年にランボオは、アデンに着いています。アデンは、アラビア半島の南端にある町。1880年8月7日に。
ランボオはアデンで、「バルデー商会」に勤めることに。「バルデー商会」の本店はリヨンにあって、ここでは主に珈琲豆の仕入れを行なっていたのです。
ここから少し先を急ぎますが。1891年にはランボオは、ハラルという場所にいた。それというのも、ハラルからお母さんに宛てて、手紙を出しているから。
「長くて瘦せこけた足のための静脈瘤用の靴下を一足、買ってください (靴のサイズは四十一号です) 。この靴下は膝の上までなければいけません。……………」
この手紙は、2月20日の日付になっています。ここから分かることは、ランボオの足のサイズが、41だったこと。ホーズ ( 長靴下 ) がお好きだったこと。そうそう、材質にも触れていて、コットンかシルクを注文しています。
これからホーズを履く時、ほんの少しだけ、ランボオを想ってみることにしましょうか。