フルートの音色は美しいものですよね。繊細が上にも繊細、優雅が上にも優雅で。
かのモオツアルトもフルートの曲を作っています。『フルート協奏曲第1番ト長調』。1778年頃の作曲なんだとか。この『フルート協奏曲第1番ト長調』についても、いろんな話が伝えられているようです。
そもそもはオランダ商人の、フェルディナン・ド・ジャンの依頼だったとか。フェルディナンは大の、フルート好きで、なんとしてもフルートの曲が欲しかったのです。
しかし、この『フルート協奏曲第1番ト長調』は、モオツアルトにしては珍しく遅れに遅れて。そのために「モオツアルトはフルートが嫌いだった」なんていう説もあるほど。
1778年のモオは、二十一歳で、恋をしていたのです。モオツアルトの恋のお相手は、アロイジーア・ヴェーバー。彼女は十七歳の、ソプラノ歌手。
モオツアルトは、アロイジーアをなんとしても一流の歌手にしたい、ただそのことばかり考えていたらしい。でも、結局は父の大反対にあって、アロイジーアとの恋は消えてしまうのですが。その後、モオツアルトはアロイジーアの妹、コンスタンツェと結婚するのですが。
フルートが出てくる小説に、『振子』があります。O・ヘンリーが、1907年に発表した短編。
「通風孔をへだてた向うの窓の紳士がフリュートをとり出す。」
O・ヘンリーは多くの名作を遺しています。中でもよく知られているのが、『賢者の贈物』。『賢者の贈物』は、1906年の作。
O・ヘンリーの『賢者の贈物』を朗読した人に、徳川夢声がいます。昭和二十年九月二十九日のこと。
「オー・ヘンリーノ短篇「賢者の贈物」ナリ。」
『夢声戦争日記』にそのように出ています。昭和二十年は、敗戦直後。そんな時にラジオで、徳川夢声が『賢者の贈物』を朗読。なんと日本は素晴らしい国であったことか。『夢声戦争日記』には、こんなことも出ています。
「吾が二十一歳のころ、父の着古したフロックコートをつけ……………」。
弁士として舞台に立ったという。徳川夢声が二十一歳ということは、明治三十八年。明治三十八年の弁士は、フロック・コートを着ることがあったのでしょうね。
今でも、新式のフロック・コートがあれば、フルートを聴きに行くのに、ちょうど良いのではないでしょうか。