ジャーナリズムと白麻

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ジャーナリズムは、報道界のことなんでしょうね。ジャーナリストといるからジャーナリズムがあるのでしょう。
ジャーナリズム、ことにアメリカのジャーナリズムに熱い視線を送り続けたお方に、常盤新平がいます。常盤新平は、むかし銀座にあった「イエナ」で、よくお姿を拝見したものです。たいてい左脇に新刊の洋雑誌を抱えていた記憶があります。
常盤新平著『アメリカの編集者たち』を読むと、アメリカのジャーナリズムがぜんぶ分かった錯覚に陥るから面白い。しかも「解説」を書いているのが、清水達夫で。清水達夫の「解説」を読むと、日本のジャーナリズムがぜんぶ分かった錯覚になるから、困ったものであります。
『アメリカの編集者たち』にはもちろん、アーノルド・ギングリッチの話が出てきます。アーノルド・ギングリッチは言うまでもなく、『エスクワイア』を創刊した編集者。
当時、アメリカのジャーナリストに、ヘレン・ローレンスという女性がいて。ヘレンは編集者であり、執筆者でもあった。ある時、ヘレンは原稿を書いて、「エスクワイア」編集部に届けた。原稿に置手紙を添えて。
「なるべく早く原稿料をください」。
ヘレンは「エスクワイア」編集部を出て、グリニッチ・ヴィレッジのアパートに帰り。ヘレンが部屋に入ってしばらくすると、ベルが。扉を開けると、メッセンジャーが立っている。「エスクワイア」の小切手をもって。小切手には、アーノルド・ギングリッチのメモがついていて。
「早くといっても、これが精いっぱいです。」
まあ、たしかにその通りでしょうね。
ヘミングウェイの代表作『キリマンジャロの雪』は、1936年「エスクワイア」8月号に掲載されたもの。『キリマンジャロの雪』の原稿料、1,000ドル。他誌は4,500ドル払うと言ったにもかかわらず。
しかしヘミングウェイは、ギングリッチにこう言った。
「50ドルの稿料が払える時には、100ドルの稿料を払うこと。」
佳き時代の、佳き話なのでしょうね。
アーノルド・ギングリッチはいつも黒い上着を着ていた。その黒い上着の下には、なぜか白麻のヴェストを着る習慣だったという。
白麻のチョッキで、アメリカの古い雑誌を探しに行くとしましょうか。

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